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■3

 二時間後。




 時間は巡り、日も傾き始めた夕方五時頃。
 ようやくてんやわんやから逃れた沙那は、疲労で体の重みを存分に感じながら、地下鉄から降りた。
 地上に出るとまたアーニャの「アレはなんだ!?」「これはなんだ!?」が始まったが、沙那はそれらをなんとかいなして、次の赤いポイントに向かっていた。善は急げである。
 鳴海達はしばらくは追っては来ないはずだ。彼女達が地下鉄改札口の監視カメラを頼りに捜査範囲を広げるだろうという事は予想できたので、一度別の駅で降りてからバスで目的地に移動したのだ。こうしておけば、鳴海達は見当違いの場所を捜索する事になって、時間が稼げる。降りた地下鉄駅周辺店舗監視カメラにも十分すぎるほど姿を映しておいた。
 それにアーニャの手を引いて歩いても、周囲は「仲の良い兄妹ね」位の目でしか見ていない。アーニャは制服、沙那は腕をまくったミリタリージャケットにスキニーデニムと目立つ格好でもない。鳴海カナが聞き込みをしたとしても情報の入手には苦労するだろう。
 つまりは疲れた分の安全は手に入れたという事だ。
「……そういえば、今日引っ越しの業者さんが来る日だったのにな」
「ん? なんだ、あげないぞ」
 傍らを歩くアーニャが、手にしたソフトクリームを体の陰に隠した。幸せそうにパクつく。沙那はため息をついた。
「いらないよ……アーニャはタフだなぁ。あんなに走り回ったのに甘い物ばかりパクパクパクパク……」
「人を卑しい人間のように言うな! 文化の共有を図ってるんだ!」
「……地球人と?」
「地球人と」
 と、アーニャは深々と頷いた。クリームをぺろりとなめる。
「甘くて冷たいというのはすごくいいな。暑いのは嫌だが甘くて冷たいのが食べられるなら幸せだ。寒いとこうはいかないのだろう」
 沙那は疑わしそうに彼女を見た。
「宇宙人なのに四季がわかるの?」
「もちろんだ。地球と×☆●◇については私の方が博識だぞ。貴様は×☆●◇についても、地球についてもまるで知らん」
「そうかなぁ……」
「それと、私を宇宙人と呼ぶのはやめろ。宇宙は繋がってるんだ、お前だって宇宙人だ」
「……まぁ、確かに。深いね、それ」
 そうこうしている内にポイント近くにまで来た。端末の地図を拡大する。
「……この施設の中だな」
「なんだ、この大きな建物は。しかもボロい」
 アーニャの言ったとおり、施設は体育館のように広くて大きい。そしてぼろい。コンクリの壁は経年のシミやヒビが至る所にある。天頂部にはごてごてとした趣味の悪いイルミネーションが光っていた。そこには大きく、こう書いてある
 『ゆ』
「……ゆ?」
「銭湯だね」
「銭湯?」
「温かいお湯が張ってある広い浴槽があって、そこにみんなで入って温まるんだよ」
 アーニャは不可解そうな顔をしながら
「つまり☆*○▼か? 体を洗ったり、○■@#を塗ったりする所か?」
「……よくわかんないけど、多分そうかな」
 言いながら、沙那は「余計な事を言ったかな」と内心ひとりごちた。この流れだとまた興味津々に目を輝かせて「入ろう! 今すぐ!」とでも言い出しかねない。
 が、しかしアーニャは沙那の予想を裏切って綺麗に整えられた眉根を寄せた。
「だがみんなで、というのがよくわかないな。この乗り物に乗っていた人間全てが入ってるのか?」
 彼女は四方に広がる駐車場を眺めて、そこいっぱいに止まっている車(車についての説明は既に四度ほどしている)を手で指し示した。沙那は頷く。
「うん、まぁ」
 彼女は「うーむ」と唸ってから
「不潔だ。実に不潔だ」
「……まぁ、言われてみればそうなのかな」
 確かに、お湯を介して裸の人間が一緒に入っているというのは、そういう見方からすると不潔かもしれない。
 アーニャは口元に手を当てて、ちょっと頬を赤らめた。
「若い男女が裸でなんて……」
「あ、そういう意味で?」
 アーニャはいぶかしげに沙那を見上げて
「他にどういう意味があるんだ?」
「まぁ……健全な方向で色々と」
「ケンゼン? ってなんだ?」
「まぁ……なんだろう、エロくないって言うか――」
「……エ? 何?」
「あの……まぁ大したことじゃないから。そんな事より手を貸してよ」
「む? なんだ? 結局ケンゼンってなんなんだ?」
 沙那はきゃんきゃんと暴れる彼女の手を取ってその手首でじゃらじゃらと音を立てている鍵束を眺めた。鍵の一つを手に取る。
「……やっぱりこれも貸しロッカーのなのかな?」
「あ! サナ! あれ、アレを見ろ!?」
 と、急にアーニャが沙那が握っている手を突き出した。
「お前の言っていたのはあれだろう」
 「ん?」と沙那が彼女の指さす方を見ると、土に埋もれたようなおんぼろの家があった。江戸時代からありましたと言われても容易に信じられそうな、朽ちかけた木でできた長屋のような家だ。
 屋根には、家屋自体のおんぼろさに負けず劣らずの、年季の入った看板が出ていた。
「『希峰シネマ』……?」
 明治初期に作られたんじゃないかというような、ブリキチックな看板だった。古い映画の女優らしき絵が描かれている。
「エイガという場所なのだろう? その、アーニャという女王がいるのは」
 と、彼女は希峰シネマ館の前に立てかけられている朽ちかけの旗を指した。確かにそこには、何故か、ひらがなとカタカナで「えいが」「エイガ」と自己主張の希薄なメッセージが描かれていた。
 沙那は額を撫でて、小さく唸った。
「確かに映画の登場人物ではあるけどさ……映画館にいるわけじゃないんだよ。なんて説明すればいいのかなぁ」
「なんでもいい! とにかく行ってみればわかるんだろ!?」
「いや、わからないと思うけどな……あんな古い映画やってるわけないし。それより、まずは銭湯に行ってみない? 鍵がどうなってるか確認したいし、それに」
 ふと、アーニャから漂っていた雰囲気が変わった。子供っぽい興味津々でうきうきしたような雰囲気から、困惑と驚愕に色を変え、
「なっなっなっ、嫌だ!!」
 目をやると、彼女の頬が桜色に染まっていた。飛び上がるような悲鳴を上げる。沙那がぎょっとすると、ぶんぶん顔を振って
「お前、朝のトイレといい、おかしいんじゃないのか!? 嫌だ、絶対嫌だ! 不潔だ! 変態! バカ! 裸でなんて、絶対に嫌だぞ!」
 沙那は口を半開きにして彼女を見ていたが、小さくため息をついた。
「……やっぱりアーニャは不健全だよ」
「な――なんだとぉ!?」
「鍵を確かめに行くだけだよ。さっきもアーニャの鍵を使ったら、なんだっけ、えーと、そうだ、VSRだ、あれが手に入っただろ? ここにもあるはずなんだ」
「そんな都合の良い事は信じられんな! 野蛮人! 変態! 変態! へんたーい!」
「ちょっと連呼しないでよ。勝手に想像したくせに……あと、銭湯は男女別だからね。残念でした」
「おい! 今の物言いはなんだ!? 私をバカにしたのか!? 聞き捨てならん!」
「なんでもいいけど、とにかくあそこには父さんに続く手掛りがあるんだ。アーニャがいったい何処の子――どうやって帰ればいいのかを知るための手掛りでもあるんだよ?」
「……ふん」
 しかし沙那のつたない説得にもアーニャはなびかない。唇をとがらせてそっぽを向いてしまう。
「……わかったよ。じゃあアーニャは映画館で待っててよ。僕は一人で銭湯に行って、鍵の合うロッカーを探してくる」
 沙那はなんだか頭が痛くなってきた。アーニャはツンとしたまま。
「……敵が来たらどうするんだ。またあの女が来たら」
 言葉端に少し不安の色が混じった。沙那は言葉に詰まる。
「それは……携帯、は無理か。拳銃……なんてダメだダメだ」
 呟きながら額に手をやる。今朝から頭を使いっぱなしで妙案をひねり出す元気がなくなってきていた。こんなに機転を利かせたのは久しぶりなのだ。集中力が途切れているようだった。
「(……まぁいいか。今日はもう遅いわけだし)」
 投げやりにそう考える。時間は十分に稼いである。無理をしていざという時動けなくなったら困るし、休める時に休むべきか。
「……アーニャ、それじゃぁ、一度映画館に行こう。僕も一緒に行くよ」
 アーニャはしばらく黙って沙那を見ていたが、ふいに視線を逸らして言った。
「いいのか?」
 どうやら言い過ぎたと思っているらしい。沙那は頷いて返す。
「いいよ。行こう。今思い出したけど、あの映画館、知ってるんだ。夜中から朝までレイトショーをやってる所だよ。中学の友達が家出した時、よく使ってた」
「……? よくわからん」
「一晩過ごせるんだよ。今日はあそこに泊まって、明日銭湯のロッカーを見てこよう。なんだったら、シャワーぐらい浴びてもいい。汗も沢山かいたしね」
 アーニャは疑わしげに希峰シネマを振り返った。
「あんな所に泊まれるのか?」
「昔は、家に居づらい人はみんなああいう所に泊まってたんだよ」
「……家にいづらいのと私の場合は違う。私は家に帰りたいが、帰れないんだ」
「同じだと思うよ――さ、行こう」
 沙那が先頭を切って歩き出すと、彼女はその後を、ととと……、とついて行った。