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 瞼を開くと、暗闇とぼんやりとした光のコントラストが、沙那の目に突き刺さった。思わず目をつむり、頭を振る。
 再び瞼を開いて、周囲を見渡した。
 映画館の小さなシアターだ。
 ずらりと並ぶ、がら空きの客席。正面にはスクリーンがあって、白黒の映画を映し出している。どこか懐かしい雰囲気が漂う、場末の映画館らしいシアターだ。
「……いたっ――寝違えたかな。……ん?」
 身を起こした沙那は、その身に毛布が掛けられている事に気づいた。随分と毛並みの柔らかい、上質の毛布だ。寝ている間に誰かがかけたらしい。
 隣を見ると、同じ毛布にくるまったアーニャが、静かな寝息を立てていた。穏やかで、少女らしい寝顔だ。少しだけ開いた口元が、ちょっとお間抜けだ。
 昨日彼女の寝顔を見た時は毛布をかぶっては無かった。と言う事は別の誰かがかけたのだ。そういえば、家出してここに逃げ込んだ友達も、そんな事があったと言っていた。かけてくれたのは映画館の館長だったとかなんとか……。子供が夜寝ていても何も言わない事といい、ここは相当変わっている。
 沙那は背をシートに深く落とし、白黒の映画を眺めた。古い映画だ。信じられない事だが、上映していたのはアーニャに話したあの映画そのものだった。
 ある日王女様が自分の身分と生活に嫌気がさして、街へと逃げ出す。そこで新聞記者と出会い、ひと時の休日を過ごし――最後には、つらい別れと、永遠の誓いが待っている。互いに身分の違う者として。
「……ん、なんだ。もう十時なのか」
 沙那が腕時計を眺めて呟いた。彼は頭を振って、立ち上がった。


「あの、これ、ありがとうございました」
 沙那は毛布を抱えて、ロビーにあるカウンターへ続く小窓をのぞき込んだ。
 ロビーと受付は区分けされていて、ちょうど駅の改札の駅員室のようになっている。中にはおんぼろな――もとい、歴史ある映画館に似合わず、いかにもサブカル風な大学生くらいのお兄さんがいた。髭を生やし、ハンチングをかぶっている。黒縁眼鏡がやたらと似合っていた。
「……何?」
 お兄さんは小さな文庫本を開いていた。ハンチングを指先でいじり、煙草を吹かす。
「毛布、かけてもらったみたいなので……ありがとうございます」
 お兄さんは一度咥えていた煙草を指で摘んで口から離した。ふー……と紫煙をはき出す。
「……俺じゃない」
「は?」
 まるで、時間の流れがゆったりとしているかのような、まどろむような話し口だった。
「俺は掛けてない。女の子がここに来て、寒いから暖まるモノを寄越せと言ったんだ。俺はそいつに、毛布を渡してやった」
 それだけ。と言って、お兄さんは、また煙草を咥えた。文庫のページをめくる。
「……おい沙那、さむいじゃないか……それに眠い……眠い……」
 声がして振り返ると、シアターの入り口からアーニャが顔を覗かせていた。扉に寄りかかって、目をシパシパさせながら、しかし睡魔に抗えず、うたた寝している。
「こら、寝ちゃダメだよ。もう十時なんだ。急いで銭湯に行かないと」
「せんとう?」
 お兄さんがいぶかしげな声を上げた。
「銭湯ってウチの向かいにある、あの悪趣味なスーパー銭湯か? ジジババが末期に集まってくる?」
 「……えぇ、たぶん」と沙那は歯切れ悪く返す。確かに悪趣味だが、語り口が容赦ない。
「あそこなら今日は休みだぞ」
「えぇ!?」
「定休日は火曜日って書いてなかったか?」
 馬鹿馬鹿しいミスだった。確認してない。
「うわぁ……どうしよう、やっちゃった」
 お兄さんは狼狽する沙那を無言で眺めていたが、しばらくすると口を開いた。
「……風呂に入りたいんなら、ウチのを使えば?」
 「あ、いえ、そういうわけじゃなくて……」と、沙那は断ろうとした。が、しかし途中で考え直した。風呂には入りたい。自分もアーニャも、昨日は走り詰めで汗だくになっていた。自分はともかく、年頃の女の子がすえた臭いをプンプンさせているのはどうだろう。
「遠慮すんな。沸かしといてやるから、買い物でも行ってこいよ」
 お兄さんは立ち上がり、一瞬沙那の耳元で囁いた。
「……あの娘、パンツはいてないだろ」
 ぎょっとした。
「もう少しスカートを長くはかせないと、風が吹く度に大惨事だな――下着を買うなら正面玄関を出たら右に曲がれ。その先に広い県道に出るから、そこを左だ。あとはまっすぐ行けば、でかいファッションモールがある。迷うなよ若人」
 そう言い残すと、お兄さんは奥の『事務室』とプレートの貼ってある扉の奥に行ってしまった。
 後に残された沙那は、なんとなく呆然とするしかない。
「むにゃむにゃ……甘くてウマいぞ……サナも食べろ……冷たいし……ふにゃむにゃ」
 アーニャの夢うつつな語りかけに、ため息混じりに振り返る。彼女は扉に体を預けて完全に夢の世界に行ってしまっている。すると次第に彼女の体は重力に負けて、ずるずると崩れ落ちていき、
「ふにゃむにゃ……ぶにゃ!?」
 と、顔面を打った。
 
 
 ピンクや紫、黒や白の淡い色に溢れたラグジュエリーショップ。ショッピングモールの一画にあるこのテナントで、沙那は赤面していた。
 試着室前で、視線のやり場に困りながらきょろきょろしている。何処を見ても下着だらけなのだからいたたまれない。あっちこっち視線の逃げ場を探すが、せいぜい天井くらいのモノである。かといって白目を剥くわけにもいかない。身をちぢこめるしかない。
 そして先ほどからずっと沙那は怯えている。すごく。カジュアルな格好をした二十代後半くらいの女性が、ブラジャーの棚を品定めしながら、時折こちらをいぶかしげに見ているのだ。もちろん、その視線の何処にも、好意的な部分はない。
 沙那はさりげなく、試着室に視線を向けたり、指を指したりして、連れがいる事をアピールしていた。ただ残念ながら、さりげないのはあくまでも主観であり、女性の目は厳しくなるばかりだったが。
 試着室の中からは「これはどうつけるのだ?」「このホックをですね……」「これは?」「ここに当ててください――こうですよ、ほら」「ここ?」「あら、惜しいですねー」と何やら閑談らしき声が聞こえてくる。アーニャが女性店員と一緒に品定めしているのだ。いかがわしい想像力をかき立てられて、沙那は自分の頭をガンガンたたいた。
「(……中学生くらいの子って普通こういうところに来るのかな? 来るわけない気がする……いや、でもこのショッピングモールの中じゃ、下着なんて売ってるのはここしかないわけで……)」
 頭の中を思考がぐるぐる回る。世の十六歳男子の中で、「女の子と一緒にラグジュエリーショップに来る。あまつさえ選んで、しかも買う」という洗礼を受けた者がどれ程いるだろうか……考えると死にたくなってくる。
「お客様?」
「うぁ、はい!」
 試着室から、女性店員が顔を覗かせていた。にこやかに言う。
「お気に召したようですよ?」
「じゃぁ、それで、お願いします」
 沙那は傍らから注がれる、件の二十代後半くらいの女性の、疑わしげな視線に怯えながら、店員に頷いて返した。彼女は丁寧に「はい、お買い上げありがとうございます」と、微笑んだ。沙那もぎこちなく笑って、会釈を返す。
「沙那! これでどうだ!?」
 試着室のカーテンが勢いよく開いた。
「ぅわぁぁぁ――!!」
 仁王立ちした半裸のアーニャが一瞬見えたところで、沙那は勢いよくカーテンを閉じた。
「む? おい! なんで閉めるんだ、開けろ!」
「冗談じゃないよ! もう!」
 「あらあら」と女性店員がほほえましそうに笑っている。じろじろ見ていた女性の目が、アーニャの姿を見た途端、さらに不振の色を帯びる。沙那は泣きそうになった。
 
 
「だいたいおかしいんだよ。最初は素っ裸で僕の首絞めたくせに、裸で風呂に入るのは嫌だとか、変態とか、その割に試着室のカーテン開けるし……」
「む? なんだ、男のくせにごにゃごにゃと。異文化交流に不満を募らせるのはやめろ。文化の違いとはそう言うものだ」
「首絞めも異文化交流なのかな……」
「なんだと? 刺されなかっただけありがたいと思え」
 ようやく恥辱の地獄から解放された沙那は、次にアーニャの替えの服を買いに一階フロアに向かった。さすがにずっと地肌に制服では、この先やっていけないだろう。
「ふむ、地球の民族衣装はおもしろいな。じつにごちゃごちゃとしている。色遣いも統一性がない」
 フロアのテナントを見回しながら、アーニャが顎に手を置きながら言った。
「どれがいい? どこでもいいよ、気に入ったのがあればそれで」
 虎の子の生活費(家を空けている間、父親はよく無造作に沙那の口座に金を振り込んでいた)を地下鉄を降りた時に引き落としていたので、沙那は特に金額の多寡には触れない事にしていた。おそらく「高いからダメ」なんて言うとアーニャは「この貧乏人!」と大騒ぎするだろう。高木家の名誉にかけて、是非避けたい事態だ。
「よし、まずはここにしよう」
 と、アーニャは沙那の手を引いてテナントの一角に入った。
「このお店?」
 そこは肌を浅黒く焼いて化粧を厚めに施す……いわゆるギャル風の客を相手にした店だった。同じくギャル風の派手な店員が奥から出てきて、抑揚のない声で「いらっしゃいませー」と言った。アーニャを見ると一瞬きょとんとした後、彼女の前にしゃがみ込んだ。
「わぁーかわいいー。日本人じゃないね。何人? ハーフ?」
 やっぱり棒読みなんじゃないかというくらい、抑揚がない口調だったが、歓迎してくれているようである。アーニャはニコリともせずふんぞり返り
「ハーフ? 私は×☆●◇の姫だ」
「?」
「すみません、適当に見繕ってください。今すぐ」
 一悶着の末、彼女は店の奥に連れて行かれた。平日と言う事もあり、店に客は少ない。暇な店員が集まってきて、アーニャをちやほやし始めた。傍若無人な態度がおもしろがられているらしい。
「あの人、お兄さん?」
「サナか? サナは私の従者だ。ある責務から私を守っている」
「へぇーいいねぇ」
「いいものか。全く役にたたん」
「そうなんだ(笑)」
 「(まずいなぁ……)」と思う会話がその後も続いたが、遮るまではしなかった。店員はまるで本気にはしてない。わざわざ遮ったら余計疑われるし、何よりアーニャが何を言い出すかわかったものじゃない。そわそわしながら待つ。
 途中「ちょっと染めていいですかぁ?」と尋ねられたが、アーニャが嫌がりそうなので断った。実際あの黒髪は目立つので少し染めるくらいがいいのかもしれないが、また首でも絞められたらたまらない。ついでに肌を焼くのも先手を打って断っておいた。
「おまたせしましたー」
 二十分ほどすると、相変わらず抑揚のない声で店員がアーニャを連れてきた。試着室横の待合椅子に座って待っていた沙那が振り返ると
「じゃーん」
 と、店員に押されてアーニャが登場した。
 ブルーとグリーンという個性的な組み合わせのチュニックブラウスに、デニムのショートパンツ、モカブラウンのウェスタンブーツという組み合わせだった。髪は後頭部で結い上げている。彼女が動くと、ブラウスがひらひらと揺れた。
 どんなとんでもないのが来るのかと思っていたが、意外とおとなしめで似合っていた。
「どうだ!」
 とアーニャは元気よく仁王立ちした。
「どうだ!」「どうだー」
 と、店員もそれに続く。
「……いいけど、その目の周りの黒いのはなんなの?」
「アイシャドー」
 と、抑揚のない店員が言った。
「じゃ、目の下のキラキラは?」
「ラメ」
 と、その横でにこにこしている店員が言った。アーニャは鼻高々に
「わかるぞ、これは呪術的な意味があるのだろう? 光と影、生と死のこんとらすとだ!」
「…………」
 周りにいる店員が「そーそー」「物知りだねー」と褒め称えている。アーニャは鼻高々だ。ああいう風に扱うのが良いのだろうか。
「きらきらしたところがなかったんでー、ちょっとお化粧をしてみたんです」
 抑揚のない店員が言う。確かにきらきらしてはいる。アーニャも褒め称えられてるのがうれしいのか、胸を張ってにこにこしているし、本人が喜んでいるならそれでいいのかもしれない。
 「じゃあ、それ買います」と、沙那が言うと同時に、抑揚のない店員が言葉を重ねた。
「そういえばさ、チナが黒髪の綺麗な女の子着せ替えしたいって言ってなかったっけ?」
 「あー言ってたねそんな事」「探してた探してた」と他の店員が同調する。
 抑揚のない店員が、きょとんとしている沙那を見て、
「ちょっと、この子お借りしますね」
「は? ……ちょ、ちょっと!」
 言うが早いか、店員はアーニャの手を取って行ってしまう。追いすがろうとした沙那を別の店員がにこにこしながら「まぁまぁ」と押さえた。
「あの、急ぐんです、凄く!」
「まぁまぁすぐ済みますから――」
「ホントです! 凄い急ぐんです!」
「まぁまぁまぁまぁ――」


 ファッションショーが始まった。
 一階ロビーに用意された長椅子でひたすら待たされていた沙那の耳に、アップテンポなノリのいいポップミュージックが流れ始めた。沙那が頬を引きつらせていると、奥の店からアーニャがやってきた。誰に吹き込まれたのか、パリコレのモデルのごとき、しなやかかつダイナミックな足使いだ。
「赤のチェックスカートの元気さに彼女の黒い髪を引き立てる紺のショート丈ジャケットを合わせました! おっきなボタンがかわいらしさをアピール!」
 沙那の横で恍惚とした表情の女性――三階のカジュアルウェア担当管理監で通称『チナちゃん』。最近は管理職に追われて本来のコーディネーターの仕事ができなくて鬱憤がたまっていた――が、熱に浮かされたような口調でそう言った。
 沙那の目前まで来たアーニャはクルリと回転。スカートをひるがえして 戻っていく。向こうの方から「すごいすごーい」「いいよーかわいいー」という黄色い歓声が聞こえた。先ほどの店員達の声だった。
 頭を垂れて気落ちし始めた沙那の背中に、チナちゃんが「やっぱり黒髪もいいですねよー」「ファッションは自由です!」「表現の幅が広がりますぅ」とはしゃぎながら平手をぶち当てた。
「あー! 来ましたよ! キャミにデニムショートパンツです! 赤のチェック柄がかわいいですよね! ほらほら、動くとちょっとおへそが見えるようになってるんです!」
 再び沙那の目前まで来たアーニャは、今度はジャンプして見せた。確かに、へそが見えた。彼女はクルリと回転すると、ウィンクを残して再び奥に戻っていく。
「ウィンクって……」
「次です! 次はですね――あー来ました! 黒のハイウェストカットのワンピースに白の水玉模様の襟タイです! ほら、ワンピースのスカートから赤いヒダが見えますよね、あれが粋って奴ですよ!」
「これっていつまで続くんですか」
「ほら、ターンして――わーかわいいー」
「……」
「はい、次はですねーゴシックな感じで黒でまとめて、全体的に悪魔っぽくしたんですけど、ミニのスカートで外したんです! 小悪魔っぽくなっていいですよねー黒髪が効いてます!」
「…………」
「さぁ今度は気合い入れましたよー! リボンカチューシャを軸にしてですね……」
 沙那は諦めた。


 太陽が沈みかけている午後五時頃。アーニャはにこにこしながら、両手に色とりどりの袋を持って歩いていて、沙那はその横で、大いに気落ちしながら、同じく袋を片手にぶら下げていた。
「ふむ、地球人にも美徳はあるのだな! すっごく楽しかったぞ」
「……よかったね」
「全くだ! にゃっはっはっ」
 沙那は片手にぶら下げた袋を見る。アーニャの服は全て善意でタダでくれた。その代わり写真を山ほど撮られてしまった。一階から五階までのテナント全てが悪ノリして、アーニャを『かわいらしい広告塔』にしてしまったものだから、買い物客も「なんだなんだ」と集まって来てしまい、そこでもカメラ付き携帯でパシャパシャ、パシャパシャ……。
 最後の方では、ストリートミュージシャンや、遠征帰りのジャズバンドが演奏を担当したり、飛び入りの素人モデルが参加したり、ファッション雑誌の取材が来たりと(さすがにこれは止めた。後に捜査過程で雑誌を見るであろう鳴海カナに『おちょくりやがって!』と思われてはたまらない)大変な騒ぎになってしまった。
 終わった後もフラッシュの嵐にさらされるし、まるでスキャンダルを起こした芸能人のようだった。祭りに当てられた雑誌編集者が電話番号を聞き出そうとした辺りで、沙那は耐えきれなくなり、アーニャをつれて逃げ出す事にした。店員は皆、「絶対また来てね!」という態度で見送ってくれたが、もはや二度と行く事はないだろう。
「遅かったじゃん。もう三回沸かし直しちゃったよ」
 映画館に帰ると、件のお兄さんが相変わらず文庫本を読みながら、そう出迎えてくれた。
「すみません、えっと……」
「館長って呼べよ……なんだ、おめかししてきたのか?」
 お兄さんこと、館長は、アーニャに言った。アーニャはふるふると首を振って
「違う。ふぁっしょんしょーして来たのだ」
「ファッションショー? ……ふーん、まぁまぁ似合ってるじゃん」
「うむ。貴様もその汚い髭を剃れば、少しはマシになるぞ」
「そりゃどうも、コーディネーターさん」
 事務室の奥の風呂場に案内すると、アーニャは着ていた服(白のワンピースに黒のショートパンツという、結局地味な組み合わせ)を名残惜しそうに脱ぎだし、沙那と館長はいそいそとその場から撤退した。