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「サナ、そこにいるか?」
「いるよ」
「サナ、離れるなよ」
「離れないよ」
 風呂場の扉越しに、一分間隔でこの会話を繰り返した。これまでアーニャは元気そうに振る舞っていたが、一人でいると不安になるらしい。沙那が無言になると、途端に話しかけてくる。おかげで沙那は、風呂場前から離れなられない。
「今日はウチ、半ドンだから。もう店は閉めるな」
 しばらくすると、館長が煙草を吹かしながら、脱衣所に入ってきた。沙那の前に椅子を置くと、再び文庫本を開いて読み始める。
「……なんていうか、お前ら変わってるな」
 館長は沈み込むような、独特の口調でそう言った。
「……いとこですよ。普通の」
 沙那はそう返す。
「普通の、ねぇ」
 館長は鼻で笑った。
「……この映画館さ、じいさんが開いてたんだよ。じいさん、家出したガキとか匿ってたみたいで、俺が店を継いだ時も、警察官がよく見回りに来てたよ。『今夜は子供はいないだろうな?』って」
「……はぁ、そうですか」
「俺はそういう面倒な事、嫌だからさ、匿うとかバカな事やめて、上映する映画もアホなアクション物とかにしてさ、『まっとうに』儲けようと思ったんだ。大学の金、一年分足りなかったし」
 ふー……、と、紫煙をはき出す。暗くて狭い脱衣所の中で、煙草の小さな火種がくゆっていた。
「……でも家出する奴はやっぱり来るんだ。『ウチはそういのやめましたから』って言うと、残念そうに帰って行くんだけどさ。毎日来るんだよ。毎日、別の奴だったけど。家出する理由も話し出すんだけどさ、くっだらねぇのばっかりなの。こっちからしたら『そりゃ愛されてる証拠だよ』ってのも結構あって、なかなか笑えたぜ」
「……」
「サナ、いるか?」
「いるよ」
 ちゃぷ、と、風呂場から水の音がした。
「……ここに来る連中見てるとな、みんなアホみたいに真剣なんだ。学校とか家とか、そういうちまちましたモンに反抗してるだけなのに、そりゃもう世界の終わりみたいな顔して来るんだよ。馬鹿馬鹿しくて、見てらんない」
「……あの、つまりどういう意味ですか?」
 館長は、まるで今沙那に気がついたように、ふと視線を向けた。にっと口角をあげる。
「だからさ、お前らを匿うって話。そういう『バカ正直』な奴らの顔が、好きだったんだろうな、じいさんも。お前はちょっと、ひねた顔してるけどな」
「……」
「で、どうしてよ?」
「え?」
「えじゃなくてさ、どうして家出してきたわけ?」
「……信じませんよ」
「UFOと幽霊以外なら俺は信じるぜ」
 沙那は顔を上げた。
 館長は「ほら、大丈夫だって」と笑みを浮かべて、眉をひょいと上げた。
 
 
「へぇーそりゃぁ、また……斬新だな」
 勢いで全部話すと、館長は小さく笑いながらそう言った。
「沢山映画を見てきてるけど、その中に一つもそんな話は無かったよ。新時代な感じだ。ストーリー表現の、最先端って感じ。ホントに全く、一度も聞いた事無いよ、その話」
「……本当の話ですよ」
 館長はくっくと喉を鳴らした。
「その話通りなら、今、俺の映画館で風呂に入ってる女の子は、宇宙人って事か。地球となんとかって星の運命を握った」
「わからないですけど、そういう見方もあるかもしれません」
「そういう見方しかねぇよ。お前らをおっかけた女といい、お前の親父といい、どう考えても世界中がその子を追ってる」
 館長は顎でアーニャを指し示した。
「次は肌の黒い連中が追って来るぞ。その次は白くて血管が見えるくらいのが。回教の連中もバラバラと集まってくるかも。中国人は最後だろうな。なんだかんだで……」
「……」
「世界中からかぁ――家出にしては大がかりだなぁ。最後まで逃げ切れるかな、お前ら」
「……わかりません」
 館長は鼻を鳴らした。
「逃げ切れよ。そうじゃないとお話に結末がつかないぜ」
「……嘘じゃないですよ」
「じゃぁ聞くけどさ、なんでお前はあの娘を助けたわけ? 怖い美人のお姉さんに追いかけられるより、胸のない女の子助けた方が良いって考えた理由は?」
 沙那は黙っていたが、思考はぐるぐる回っていた。
「……ま、結局そう言う事だよな」
 館長は立ち上がった。
「風呂から上がったらシアターに行けよ。今日も映写機だけは回しとくから。その娘、ここの映画気に入ったんだろ? 扉には鍵掛けとくから、安心して観て、寝ろ」
 沙那が返事をする前に、館長は脱衣所を出て行った。バタン、と、音を立てて扉が閉まった。
「……沙那、そこにいるか?」
 風呂場から、夢うつつなつぶやきが聞こえた。
 
 
 深夜十一時。
 沙那とアーニャはがらがらの観客席で、毛布をかぶって映画を観ていた。映画はやっぱり白黒で、やっぱり女王様の逃亡劇を映し出していた。
「……沙那、この女王は女王なのが嫌なのかな?」
「……さぁ。街にいると楽しそうだけどね」
「ふむ……あの記者も楽しそうだ……」
「……うーん、ちょっと大変そうだけど……」
「ふむ……でも、楽しそうだ……」
「まぁ……悪くはない気分なのかもね……」
「うむ……ところで、あの冷たくて甘そうなのはなんだ……?」
「……ジェラード」
「おいしそうだな……この街はどこにあるんだ?」
「ローマ」
「ろーま? そうか、ろーまか……明日はそこに行こう、沙那」
「うーん……ここからだと、ちょっと遠いかな……」
「少しくらい大丈夫だ、宇宙より近いんだろう?」
「……そうだね」
 小さく、耳元で囁き合う。話している内に、アーニャの瞼が重たくなっているのがわかった。沙那の瞼も、ゆっくりと、重くなっていく。
「……砂那」
「……うん?」
 横で、アーニャがもぞもぞと動く気配がした。毛布の中に頭からもぐりこんだらしく、スクリーンのぼんやりとした光に、毛布からはみ出た彼女の黒髪だけが、滑らかな光を返していた。
 ゆめうつつな、呟きが漏れ聞こえる。毛布越しで、くぐもっていた。
「……助けてくれてありがとう……一応、礼は言っておくぞ……」
「……うん」
 それから少し間があった。映画はカタカタとシーンを進める。四シーンほど進んだ所で、既に半分以上眠りに入っていた砂那の耳に、少し声色が震えた声が、もれ聞こえてきた。
「……私はなぜ追いかけられているのだろうな……ずっと考えているのだが、わからないんだ……なぜだろう……あの女が凄く怖いのは、わかるのだけど……」
 風呂の時と同じように、また不安になっているようだった。砂那は何か気の利いた事を言おうと思ったが、しかし何も思い浮かばなかった。ただ、彼女を安心させようと思い、呟く。
「……大丈夫だよ……うん、あんまり考えないで」
 アーニャはそれに言葉を返さなかった。しばらく黙った後、ぼんやりとした口調で呟いた。
「……タカギはなぜ、私を助けてくれたのだろうな」
 その答えなら、すぐにわかった。
「……父さんは正義のヒーローなんだ……困ってる人を見たら、助けてくれるよ」
「せいぎのひーろー……?」
 また、少し間があった。今度は二シーン程進んだ。王女様はすっかりローマの街を満喫しているようだった。
「……サナ」
「…………うん」
 アーニャは呟いた。
「サナも、せいぎのひーろーなのか……?」
 砂那は少し目が覚めたが、それは気持ちの良いものではなかった。深い海の底に沈もうとしていた意識が、無理やり引き上げられたような。
「……昔はそうなろうと思ってたけど、今は違うかな……」
「そうなのか……?」
「うん……」
 隣の席で、アーニャがまたもぞもぞと動いた。黒髪がゆれる。柔らかい、せっけんの香りがした。ほのかに、彼女自身の香りも混ざっていた。
 そして沈黙した。静かな吐息が、毛布の影から聞こえてきた。ようやく眠ったらしい。そう思うと、砂那も知らずにこもっていた肩の力が抜けた。そのまま全身から力を抜き、体を丸めて、シートに体重を預けた。ゆっくりと、深い呼吸をする。時間の感覚がまどろみ、暗い意識の中を漂い始める……

「でもサナは私をたすけてくれた……」
 唐突に呟きが聞こえた。
「……さなは、『せいぎのひーろー』だ……わたしに、とって、の……」
「…………」
 砂那はしばらく体を動かせなかった。そのセリフは、まどろみ始めていた自分が聞いた幻聴なのか、それとも本当に彼女が呟いたものなのか、わからなかった。
 その答えは結局、わからなかった。わからなかったが、その内に身をもぞもぞと動かした。横になり、毛布を頭にかぶって、彼女の横顔を見てみる。
 毛布の影に陰った、彼女の穏やかな表情が見えた。やわらかそうな、ふっくらとした頬と、少しだけ開いた口元。静かに上下する胸を見ていると、どうやら穏やかな眠りについたようだった。不安で悪夢を見たりはしていないようだ。
 今度の寝顔はお間抜けには見えなかった。可愛らしくて、触ってみたいと思った。
「…………」
 やめておく事にする。
 砂那は大きく息を吸った。体を動かし、彼女に背を向ける。
 しばらくすると、シアターの中に二人分の寝息が漂い始めた。
 映画の方はついに、佳境に入り始めていた。
 

 びしゃッ

 館長は一気に胸ぐらを掴みあげられ、受付カウンターの小窓に顔面を打ち付けた。もの凄い衝撃に、小窓にヒビが入る。鼻から血が噴き出し、小窓に汚く飛び散った。
「大人二十枚。聞こえなかったか」
 カウンターの向こうには、サングラスを掛けた女がいる。小窓の下、チケットと金の出し入れをする穴から手を突っ込んだその女は、サングラス越しの鋭い目を、館長に向けていた。彼女の後ろには、全身真っ黒な、SFチックな装備に身を固めた、男とも女ともつかない人影がずらりと並んでいる。ゴムのような材質の服に、マガジンを入れるポケットがいくつもついたベストを着込み、顔は蛇の頭のような形のフルフェイスヘルメットに覆われている。手には長方形の薄い箱のようなものを握っている――グリップがある所を見ると、どう考えても銃器の類だろう。
「……お姉さん、どこのスパイ? ……中国? ロシア? イスラエル?」
 館長は果敢にも口元に笑みを浮かべていった。途端、女はもう一度激しく胸ぐらを掴み寄せ、館長を小窓に叩きつけた。
「チケットを買って、粛々と中に入れさせて欲しいんだ。黙って半券を渡して、扉の鍵を開けろ。暴れさせるな」
「……嫌だね。ウチは昔から大人の暴力からは治外法権で通ってんだ。ここにいる子供には免責特権があるんだよ」
 女はしばらく黙って彼を見ていた。
 しばらくすると胸元に手をやり、そこにあった物を握って取り出すと、カウンターに叩きつけた。
 つや消しの黒に塗りあげられた、年季の入ったパラシュートナイフが、ドスッ、と木製のカウンターに突き刺さった。ぴんと立つ。どす黒いシミのあるパラシュートコードが、柄に乱暴に巻き付けられている。
 館長がぎょっとする。女は手を離し、今度は館長の腕を掴んで、強引に穴から外へ引っ張り出した。
 ナイフの柄を、逆手に握り込む。ぎぎ――と、コードが締め付けられる音がした。
「拷問を受けた事はある?」
 館長は生唾を飲み込んで、女を見上げた。女の目は鋭く、そして淡々としていた。そこには感情も浮かんでいないし、慈悲などまっさらに無い。
 館長はそれでも、なんとか笑みを浮かべた。
「お姉さん、アメリカ人だね。CIAのスパイなんだろ……やり方がホント、映画の通りぐぁぁぁああああああああああ――――ッ!」


 はっとして沙那は目を見開いた。
 うたた寝していて意識はほとんど無かったが、一瞬、スクリーンに何か影が走った気がする。それも円形で――人の頭の形をした。
 突如、布のこすれるような音がした。右手からだ。沙那が腰を浮かしてそちらを見ると、今度は左手から音がする。
「(囲まれた……!?)」
 沙那はしゃがんで、シートの陰に身を隠した。腰の裏から拳銃を引き抜く。一度分解して川に捨てようかと思ったが、そこから足がつくかもしれないと思い直してやめた――悪い判断だったかもしれない。もし囲まれていたら、拳銃の一丁くらいではそれを打開するのは無理だろう。逆に相手に『危険因子』と取られて容赦なく殺されるかもしれない。だがこういう状況に追い込まれた以上、手にした拳銃を捨てるには勇気がいった。
「……アーニャ、アーニャ」
「む……うぅん? トイレなら一人で行け……」
「寝ぼけてる場合じゃないよ、早く起きて……!」
 アーニャの体を引っ張ろうとした。
 その瞬間、背後から人が大きく動くグバッという音がした。
「――ッ!?」
 沙那は反射的に反応。振り返るより前に拳銃を脇の下へくぐらせ、発砲。轟音と閃光がシアターに響き渡る。振り返って成果を確認する間もなく、左手、右手と人影が素早く駆け込んでくるのを確認する。
「アーニャッ!」
「むにゃ――むが!?」
 アーニャの首根っこを掴んで席の後ろへと放り投げる。アーニャはくぐもった悲鳴を上げた。沙那は怒鳴る。
「出口から逃げて!」
「ふぇ?」
 アーニャは身を起こし、目をシパシパさせた。沙那に何が起こっているのか尋ねようとして
「早くッ!」
「!? 沙那!」
 沙那は右脇を影に抱え込まれた。乱暴につかまれ、もの凄い力で持ち上げられる。肩が外れそうになり、間接が『ごぎ』と悲鳴を上げる。さらに左手から駆け込んできた影が沙那の左脇も抱えようとし、
「ッ!」
 沙那は右手に握っていた拳銃を左手に移した。ろくに狙いもつけずに左側に二発発射。轟音と閃光がほぼ一回分シアターを駆け抜け、照らす。そのまま流れるように銃口を右脇へ――腕を掴む人影に向ける。
 がしり、と手首を捕まれた。思わず引っ張るが、まるで機械に固定されたかのようにびくともしない。沙那はそこで初めて、人影の顔を見た。
 人間味のない、仮面のような顔がそこにあった。無骨な顔面骨格はどう見ても漫画や映画で観るアンドロイドそのもの。不気味な赤い二つの点が、沙那の目を射貫いていた。
「沙那!」
 アーニャの声にはっとする。捕まれた腕の指に力を込め、そのまま引き金を引こうとする。
 瞬間、拳銃をひねりあげられた。力強く握りしめていた手首が、まるで枝を曲げるようにへし折られ、引き金にかかっていた指が、複雑な方向へねじり上げられた。骨が砕け、断裂する。
「――――ッ」
 悲鳴は声にならなかった。
 それでも膝蹴りを相手の股間へたたき込もうと動かす。しかし影はゴム質の服の下の筋肉を蠢かせ、逆に膝蹴りを沙那のももに向けて放った。激痛が走る。まるで押しつぶされたかのような痛みが、脳を蹂躙する。
 直後に腹部に衝撃。拳がみぞおちにめり込んでいるのが見えた。吐きそうになる。しかしそれをする間もなく、今度は頸椎に衝撃。身を丸めた後頭部に、堅くて重いものが何度も打ち付けられた。
 アーニャが席を乗り越えて、抱きついて来るのが見えた。手首にはめていた鍵が、ガチャガチャと揺れる。しかしすぐに彼女は人影に脇を抱えられ、引きはがされた。持ち上げられながら、彼女は沙那に手を伸ばす。沙那もその手を握ろうと手を伸ばし――視界の端で、人影が拳を振り上げているのが見えた。
 一瞬で意識が遠のいた。
 
 
 はっとして目を覚ました時、沙那は広いシアターの客席に腰を下ろしていた。
 手にはキャラメルポップコーン、脇にはコーラ。シアターは広くて、席は沢山。映画はフルカラー。CGの車が走っている。
 しばらく呆然としていた。何もかもが信じられず、近くでいちゃつくカップルにも、横で寝息を立てている禿げた親父にも、警戒心剥き出しの目を向けていた。
 耳をつんざく爆発音がした。沙那はびくつき、思わず腰を浮かし、しゃがみ込もうとした。
 しかし沙那は、カップルのクスクス笑いを聞いた。爆発音がしたのに、笑っている。
 沙那は呆然として立ち上がった。スクリーンいっぱいに、爆発炎上したタンクローリーが転がっていた。主人公らしき無精髭を生やした中年の外人が、毒づいている。
『damnn!』
 沙那はぼんやりとそれを眺めていた。下品な、アクション映画を。
 しばらくの後、席にストンと、腰を降ろす。カップルはまだ、クスクスと笑っていた。