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 額が痛む
 沙那は額にできた大痣に手を当てながら、朝の陽光差し込むキッチンでフライパンを地味にふるっていた。腕が痛くて派手に振るえないのだ。
 彼の背後、キッチンと続いているリビングには、食卓についた昨日の彼女もいる。少しつり目で大きな目が、じっと沙那の背中に注がれている。睨んでいると形容しても良いし、というか睨んでいるだろう。沙那はそれを知っていたが、気まずいと思いつつも無視していた。
 前日がどんな日でも翌朝は来る。目下の問題を全部放り出して眠っていた沙那も、天窓からの容赦ない採光に、今朝には目を覚まさざるを得なかった。もちろん前日がどんな日だろうと腹も減る。眠っている彼女を放っておいてまずは朝食を作る事にした。現実逃避である。
「お前、タカギの息子か」
 ちょうど汚いスクランブルエッグを作っているところだった(沙那は長い間一人暮らし同然の暮らしをしていたが、全く料理の腕は上がらなかった)。背後からいきなり声がかけられた。振り返ると、起き抜けの彼女が相変わらずの素っ裸に毛布をかぶって、リビングからキッチンの沙那を睨んでいた。
「これはそういう意味だろう」
 彼女は不満げな顔をして、紙切れを一枚突きだした。それは昨夜、父親の書斎にあったアルバムの写真だった。一枚しまい忘れたらしい。まだ若い頃の父親と、母親に抱きかかえられた幼い自分の姿が写っている。
「……お前がもし、タカギの息子なら、昨日の事は謝ろう。お前も忘れろ。タカギの息子なんだな?」
 脳裏には様々な疑問と逡巡が駆け巡ったが、とりあえず素直に「そうだけど」、とだいぶ警戒しながら答えた。すると彼女は何かを思案するように視線を下げ、黙り込んでしまった。沙那は色々語りかけるべき言葉を考えたが、結局最終的に口をついて出たのは
「……朝ご飯、食べる?」

 そして現在に至る。

「……はい、どうぞ」
 所々焦げがあるスクランブルエッグに目玉焼きとハム、色づけのレタスとプチトマトに食い合わせの悪いご飯を卓に並べた。飲み物は何を出すべきか迷ったが、とりあえずミネラルウォーターを出して、自分はオリジナル栄養ドリンク(卵の殻や煮干しなんかを牛乳に混ぜ合わせた物だ)を用意した。
 静かな朝食の時間が続いた。
 沙那がかき込むように(悪い癖だ)食べていると、ふと、彼女がまったく料理に手をつけてない事に気がついた。当たり前と言えば当たり前だ。昨日は殴り合い――下手すれば殺し合っていた仲だ。実際沙那自身も
「(……もっと警戒するべきなのか)」
 という思いがないわけではないが、彼女の様子を見るにその心配はいらない気がした。とにかく、触らぬ神に祟りなしだ。
「……食事、食べたら? 毒は入ってないよ。まずいだけで」
「……名前は」
 彼女は全然関係ない質問を不躾にぶつけてきた。沙那は彼女の顔をちらりと見て、逡巡してから
「……沙那。高木 沙那」
 彼女は不可解そうに眉を寄せた後、奥歯に何か詰まったように口を動かして
「あ――さ――サア? サナ? ふん、お前達はみんな変な名前だな。発音しにくい」
「なんていうの?」
 沙那が尋ねると、彼女は「?」と顔を歪めた。沙那は彼女を指さす。
「私? 私の名前か?」
「うん」
「……言えないな」
「なんで」
「なんで? お前と、お前の父親が野蛮人だったからだ」
 イラ
 と、さすがの沙那も頬をひくつかせた。意味はわからないが、どう見ても年下の少女に偉そうに言われると、年功序列制の適用を訴えたくなる。
「聞かせろ、これは何だ」
 またも、尊大な態度で彼女は尋ねた。砂那が目を向けると、黒い、鉄の塊を差し出してきた。
 ごつごつとした、あまりスマートでない長方形の機械。受け取ってみると、それは携帯端末だった。だが市販されているようなデザイン重視のものではなく、軍用の、それこそ衛星とホットラインで繋がっているような品だ。
「何? これ」
「んな!?」
 と、少女は大きな目をさらにぐいと見開いて、幼い声で叫んだ。
「何とはなんだ!? タカギが私に渡したんだぞ!?」
「父さんが?」
「そうだ。息子に会ったら、これを渡せと言っていた。……記憶は曖昧だが」
 そうは言われても、砂那にはこれに覚えがない。父親がこれを使っていたような思い出も無い。
 手の内でいじっていると、外装が縦に開いた。中を覗くと、綺麗なディスプレイが白く光り、何かの起動画面が始まっていた。
「何だ……?」
 オープニングからOSを読み込む画面になり、それほど待たずに最初の文面が浮かんだ。。
「『声紋認証いたします。端末のマイクに口を近づけて、声を発してください』」
 声紋認証のセキュリティコードらしい。
「困ったな……」
 いわゆるパスワードなら、砂那は『不正規な技術』で破れない事もない。市販されていない高性能演算装置が手元にあるし、プルートフォースするソフトも幾つか言語別に持っている。
 だが、これは声紋認証である。テキスト以外のセキュリティーコードに対する手段を、砂那は持っていない。
「うーん……」
「おい、どうなんだ? なにを唸ってるんだ?」
 どうしたものかと首をひねっていると、携帯端末から『困ったな……』というくぐもった声が聞こえてきた。ぎょっとして目をやると、端末の画面に「認証しました」と文字が浮かんでいた。
「む、なんだ? 今の声は……」
「……僕の声?」
 どうやら自分の声が鍵だったらしい――だが父親の端末をいじった事はない。父親がどこかで自分の声を入手したのだろうか?
 画面の方は自動的にデスクトップが表示されたと思ったら、すぐに何かのファイルを展開し始めた。肌色の背景に青や赤の線が走っている画像ファイルで、最初は人体を模したものかと思ったが、そうではなかった。
「あぁ、そうか。これ、地図だ」
「もーう、なんだ、私にも見せろっ」
 砂那の前に、ずい、と少女が頭を突き出してきた。砂那は彼女の頭の脇から、顔を覗かせる。
 地図はごく近所のものだ。よく見ると、二つ、赤い点が表示されている。点同士が線で結ばれていて、二つ目の点から先にも、途切れた線が延びている。ちょうどスティック付きのキャンディーを二つ合わせて、二つ目にもう一本スティックを刺したみたいだった。
「この家にも点がある……ここが出発点で、この点を追って最後の点まで行けって事か」
「なんなんだ? どうなってる……んもーう、私にも説明しろぉ」
 じたばたと、少女は砂那の胸を叩いた。「いたたた……!」と砂那が慌てて、彼女の身体を引き剥がした。
「ちょと――やめてよ、痛いってば!」
「自分ひとりで納得してるからだっ、私にも教えろ!」
「それはいいけどさ……その前に聞きたいんだけど、君、誰なの? それと、どうしてうちにいるの?」
 途端、彼女は大きく目を見開き、両手で砂那の胸を勢いよく押した。ぐほ、と砂那が仰け反っている間に反動を利用して立ち上がり、ドガッと手のひらを卓に叩きつけた。
「ふざけるなっ、お前達が私をここに連れ込んだんだろう! ここはどこだ!? タカギはどこに行った!? 私が訊きたい!」
 叫ぶ度に彼女はまた顔を近づけてくる。沙那は両手を彼女と自分の間に差し込んで
「ちょ、ちょっと待ってよ……ここは帝都習志野区志野町3A-2って所で――」
「それは地球か?」
「……まぁ、広い意味では」
「地球のどの辺りだ」
 沙那は「同姓の親友にに告白された」みたいな形相で彼女を見ていたが、しばらくしてから
「わからないけど、地球規模で言うなら、極東って言われてるかな」
「き――きょ? 何? わからん! タカギはどこに行った? あいつを連れて来い!」
「タカギっていうのが僕の父さんの事なら、僕にもわからないよ。失踪したんだ。父さんの事、どうして知ってるの?」
 彼女は鼻息を荒くして
「どうしても何も私をここに連れてきたのはタカギだ。それ以上は知らん。逃げる途中で私は気絶した。貴様の父親に殴られてだ!」
 彼女は額に手を置く。
「おかげで私は、所々記憶が欠落してしまって……昨日の夜に目が覚めたら思い出せない事ばかりだ。周りは暗いし、扉らしき物も開かない、そうこうしていると怪しい影が入ってきて……『敵』に捕まったと思ったぞ!」
 だから昨日は襲いかかってきたらしい。いくら何でも迷惑な話だ。ただの勘違いじゃないか。
「(って、そうじゃなくて……!)」
 沙那は腰を浮かした。
「逃げる? 『敵』って? 父さんは誰かに追われてたの?」
「はぁ? 違う! 仲間なのに何も知らないのか? 追われていたのは私だ!」
「なんで?」
 彼女はさも当たり前であるかのように叫んだ。

「私は●×※☆*の娘――×☆●◇の姫だからだ!」
 
「…………」
 沙那は素直に唖然とした。
 そしてとりあえず箸を置いた。
 いきり立つ彼女を前にして、両手を組んでそこに口を寄せた。考える。
 彼女は本気だ。これはまず、間違いない。
 この彼女のイカれっぷりも合わせて全部手の込んだ悪戯であるとも思いたい。しかし自分自身についた額の痣や、喉元にくっきりとついた絞め跡がそれを否定する。これが悪戯だとしたらどう考えてもやり過ぎだ。
 現代社会において、こういう時便利なのが精神障害などの心理学的レッテル貼りだ。そういったものをいじくれば、彼女について一番妥当な答えが出そうな気もするが――
 

 『あなたのお父さんは宇宙人を追っていた』――って言ったら、信じる?

 
「……誰の娘――何の姫って言った?」
 沙那の質問に、彼女は腕を組み、子供じみた優越感たっぷりに答えた。
「●×※☆*の娘、×☆●◇の姫だ」
 『誰』『どこ』、に当たる部分が全く聞き取れない。テープの早回しのようにも聞こえる。そもそもこれは人の出せる声か?
「それってどこか――外国の話?」
「外国ぅ? 我国はお前達の狭苦しい国家概念で掴みきれるものではない!」
「我国って? なにそれ、どういう国なの」
「×☆●◇は■○×▲において重要な役割を占めた為、その功績をたたえる形で付与された国家だ。そして四代目の■*@#の時代、政治RMTにより立身出世、覇王となった」
「はおう?」
「八つの星を引き連れ、その向かう先を定め、導く、純然たる覇王だ」
「……スターウォーズって知ってる?」
「宇宙間戦争か? 私は過去一億年以内の◇▲*@の歴史なら全て学習している。もちろん、宇宙間戦争についてもだ。我国の戦歴は全て全◇▲*@の航宙権益を守るため――」
 さらにまくし立てる彼女を前にして、沙那はどうしようもない脱力感に包まれた。なんだコレ。どうなってんだコレ。昨日からずっと、なんだこりゃ?
「……待って、よくわかった。うん、ありがとう。それで訊きたいんだけど、とりあえず名前だけでもさ……」
「言っただろう、言えないと」
「だけど名前くらいわからないと僕もどう呼んで良いか……」
 途端、彼女は激昂し
「だから、貴様の父親のせいでわからなくなったんだ! 奴が私の頭を叩いたから、私の記憶が断片的になって、名前までわからなくなってしまった! この不快感……うぅ」
 彼女は綺麗な黒髪を抱えて、ぎゅっと目をつむってしまった。目の端に涙がたまっている。よほど不快らしい。
「あの、わかったよ。よくわかんないけど……。無理に思い出さなくていいから、じゃぁなんて呼べばいい?」
 彼女は涙目をこすって、沙那を流し目で睨んだ。
「ふん、そうだな……さしずめ●▽◇*とでも呼べばいい」
 なんと言ってるか聞きとれない。
「……その名前は、その……この国だと縁起が悪いから、他の名前がいいかな」
「縁起? 野蛮人共が、神の威光を感じられるとはな」
「野蛮人って……さっきから誰の事をさして言ってるの?」
 彼女はびしっと沙那を指さし(いい加減沙那も「一体この元気はどこから来るんだろう」と辟易してきた)大きな目をさらに大きく見開いた。
「お前達、地球人だ!」
「……あぁ、そう」
 沙那の気のない返事に気を悪くしたらしい。彼女は語気を強めてまくし立てようとして
「お前達地球人は私の――」 
 急に表情を失った。
 まるで燃えるようだった瞳からは光が失せ、沈み込むような淀んだ光が渦巻く。呼吸が止まり、肩が震え始める。その体を抱き、戸惑うように
「私の――家族に、何をした……?」
 明後日の方向を眺めていた沙那が気づいた。僅かに口を開き、何か言おうとする。
 チャイムが鳴った。