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 深く、沈みこむような闇だ。奥深くでそれは渦を巻き、そして自分は、抵抗する事もできずにその渦に引き込まれる。

――「私は地球から来たが、君達が知る地球人ではない。地球人にも色々と種類があって、私は君を助ける側――というより君を助けようと思い、そしてそれを実行に移せる唯一の……クソ、ここはまずい。移動するぞ、さぁ、早く!」――

手を引かれる感触。慌てて足をもつれさせながら、必死にそれについていく感触。不安が頭をもたげる。どこかで激しい炸裂音がした。闇の中でそれが連続する。閃光が背後から追いかけてくる。

――「あぁ、君の家族全員を救いたかったが、そうはいかなくなった! どうしてもギリギリの際まで待たなくてはいけない事情があった……! ああそうだ、すまない、君のご両親は地球人が殺した! 本当にすまない、止められなかった! 白状すれば、このままでは君の兄弟も皆殺しだ!」――

絶望感に打ちひしがれる。不条理な現実に体が震え、「そんなものは嘘です!」と悲鳴を上げる。

――「すまない、本当にすまない!」――

 手を引く者は何度も謝り続ける。彼は手に銃を持ち――自分は銃については詳しくない――激しい銃撃戦を掻い潜りながら、遂に至った行き止まりの部屋で自分を小さな箱のようなものに押し込んだ。

――「これを渡しておく。私の息子が力になってくれるはずだ。いいか、息子は君を守ってくれるはずだ、地球人だが、味方だ! わかるか!?」――

 わかるはずがない! 私をどうしようと言うのか、姉は、妹は、兄は、弟は、おじい様、おばあ様は――息子とは、一体誰の事です!?

――「君の家族はできる限り救う、だが期待はするな。それから私の息子は……子供だ。地球の良心だ。……ただ私は彼に技術を教えたが、それだけだった――それも、申し訳ない。君と、私の息子に」――

 再び激しい銃撃が襲い掛かってきて、手を引いていた者は身を伏せて、弾丸の方向へ銃を乱射した。

――「さぁ行け! 君は生き残れ! 息子に会ったら伝えてくれ××××と――!」――

 返事を返す前に闇に押し返された。深い水の底から急激に浮上する感覚。声と銃声が膜に包まれたように聞こえ辛くなり、代わりに全身に感触が戻る。体があるべき場所にあり、皮膚が温度を伝え、そして筋肉が動き始め、そしてまず最初にまぶたが――――


 ハッとして目を開くと、そこにあったのは見知らぬ、暗い天井だった。
「(私は……なぜ)」
 アーニャは体を起こそうとした。が、体に力が入らない。何とか動く手を持ち上げると、まるでそれは肘の先につく肉の塊のように感覚が麻痺していた。手首につけられた鍵束が揺れる。何とか、手を握ってみる。ゆっくり、ゆっくり――しかしまともに動かなかった。途中まで曲がるが、そこからは意思が通じないかのように動かない。
「早いね……もう目が覚めたの」
 右手で声がした。女の声だ。首を必死に傾けて、そちらに目を向けた。
ここは広い部屋らしかった。自分が寝ているのは大きなダブルベッド。そして見やった壁は一面ガラス張り、眼下には群衆が生の営みをこそこそと続けているであろう、輝く灰色の塊があった。どこか背の高い建物の一室らしい。
「どこか痛い所はない? 怪我は?」
 眼下の景色を睥睨するように、ガラス窓の前でリビングチェアーに座っている人影がある。それはこちらに顔を向けずに、手にしたカップに口をつけ、すすっている。リビングチェアーの前には、低いガラステーブルがあり、その上にはティーポットも置かれていた。
「あなた……おまえ、は、なるみ……」
 アーニャは頭に手を置いた。頭痛が激しい。そしてそれ以上に、意識が混沌としていた。誰かの記憶、自分の記憶、深い過去の、近い過去の、深層心理、表層意識――全てがまどろみ、はっきりとしない。
「鳴海カナ。日本での偽名だよ。本当の名前は忘れた。長い間、誰も呼んでくれてないからね」
 影はまた、カップに口をつけて、すすった。
「……今は意識が混濁してるだろうけど、そっちの方が良いと思って、そうしてあげたの。理性を保ったまま、死にたくないでしょ?」
「……、まえ、は、なぜ」
「なぜ怪我を治したか? 子犬が道端で死んでいて、その体に切り傷や刺し傷があれば、『誰が殺した』という人がたくさん出るでしょう? だからね、治したの。言ってる意味わかる? 生かすために手を施すばかりが医療じゃなくて、その逆も然りって事……」
 影はティーカップをテーブルの上に置いた。立ち上がり、こちらに近づいてくる。明かりの灯されていない暗い部屋の中では、そのサングラス越しの目の表情はうかがえなかった。
「私からも質問させてもらう――高木一佐に何を吹き込んだ。どうしてあの男の、協力を得ることができた」
 問われている意味がわからなかった。だがアーニャが口を噤んだのはその為だからではなく、鳴海カナに対する激しい恐怖と怒りからだった。
「……何も言わなくても、適当な事を言っても、恐ろしい目に遭わせる。高木一佐をどうやって仲間に引き込んだ。なぜ彼を狙った」
 アーニャがやはり、無言で返すと、鳴海カナはその胸倉を掴み挙げてきた。息が詰まる。
「言え」
 頭痛が激しくなり、意識がぼんやりしてくる。アーニャの口が、勝手に口を利いた。
「――あなたが、私の家族を殺したのですね」
 アーニャ自身意味のわからない言葉の羅列だった。殺した? 家族を――この女が?
 鳴海はまるで平静に、見返してくる。
「……恐怖から深層意識に引っ込んでいた『本人』か。この際誰でも良い。どうやって高木一佐を引き込んだのか、死ぬ前に吐け。そうすれば楽な殺し方をしてやる」
「……私を救った彼をタカギイッサとするのなら、彼が私を救ったのには理由がない」
「何?」
 鳴海の整った眉根がぎゅっと寄った。
「誰かを納得させる理由があったのではなく、彼自身の中にある『感情』がそうさせたので――」
 鳴海が腕を振るった。アーニャはベッドの上に叩きつけられ、気付いた時には鳴海の片腕の猛烈な力で首を押さえつけられていた。
「ふざけるなよ……高木一佐は自分が誰の味方かわかっていた。最後の際で、『感情』で裏切っただと……? 侮辱するな! 彼は誇り高い兵士だッ! 私と共に手を汚し、守るべき者の為に正義感を殺した仲間だ! くそ下らない偽善感情で、小娘一人救っただと!? そんなバカな話があるかッ!!」
 アーニャは彼女の怒りに気おされたが、しかし口は勝手に、言葉を続けてしまう。
「貴方が……ぐ、どう思おうが、彼は彼の意思に従い……ました、彼は私を救った……そして、貴方は……私を殺す。私の家族も殺して、タカギイッサの意志も……殺すのです」
「違うッ! お前がそそのかしたんだ! お前が、高木一佐を死に追いやったッ!」
「……彼を、殺、したの……ですか」
 アーニャの中の『誰か』の言葉に、鳴海はハッと表情を崩した。だが、すぐにそれは下に戻り、鉄面皮がその表情を覆う。
「……殺したのは私じゃない。お前が嘯き、彼を騙した……それが彼を殺した犯人だ!」
「哀れ、ですね……貴方は……共犯者だ、と思っていた彼が正義感を……取り、戻したのに嫉妬して、彼を……殺し、そして……それ、すら直視できず、いまだ……自分の、醜い部、分から……目を逸らそうとしている……いつまで、続けるつもりですか、最後の一人が死ぬまで、殺し……続けるのですか……!」
「黙れ……ッ!」
 ぎり……と、首をさらに強く絞められる。呼吸が滞り、吐き気が沸き起こる。目玉が飛び出そうなほど痛くなり、咽喉が押しつぶされる痛みに涙が溢れてくる――
「失礼しますッ!」
 その時、背後から扉が派手に開かれる大きな音がした。視線だけそちらに向けると、癖毛の激しい、間の抜けた表情の男と目が合った。彼は激しく狼狽した様子で、
「あ、いや……これは、なんという、つまり、その、女性同士がなにやらという、男子禁制の……さすが自由の国、性差すらその壁を、いやいや、その、鳴海さんの趣味ついて言及するつもりは……」
「福田」
「は、はっ!」
 鳴海の冷たい一言に、びしっと敬礼する。
「何があった」
「はっ、第六作戦中隊とかなんとかいう部隊から連絡がありまして……」
 鳴海はアーニャの首から手を離し、ベッドの脇にすっくと立ち上がった。
「……私の部下だよ。本国がようやく認証して送ってきた、デルタボーイズ」
「は、そのデルタ坊主が連絡をしてきまして、『対象が動き出した。側頭葉内部のアセチルコリン量が定量を超えている為、制止をかける。対象は現在軽量バイクで移動中』……との事です」
「何?」
 鳴海は著しく表情を歪めた。
「もう記憶を取り戻した……? 過去の情報を引き出しても思い出さないはずなのに」
 そして何かに気がついたようにハッと目を見開き、アーニャを見た。アーニャはじっと彼女を睨みつけている。
「まさか……!」
 鳴海がアーニャに手を伸ばした。アーニャは体に力が入らず、なされるがまま、体を弛緩させていた。腕を持ち上げられ、その手首をまじまじと眺められる。
「こいつ、鍵が……!」
「は、鍵?」
 福田、と呼ばれた男が変な顔をして鳴海を見た。鳴海は歯軋りするほど奥歯を噛み締めて、アーニャをにらみつけた。
「お前、あの時に……!」
 アーニャは頷きはしなかった。だが、彼女の言う『あの時』がいつであるかはわかった。映画館で襲われ、砂那が倒れた時、アーニャは倒れた砂那に抱きつき、とっさに彼の家の鍵のキーホルダーに、自分の手首から外した鍵を混ぜたのだ。
「……今更気付いたか、野蛮人め」
 ようやく、口が自分の言う事を聞いた。思いっきりの侮蔑を込めて言ってやった。そして今になって気づく――砂那に同じ言葉を吐いた時、心の何処かで、笑い返してくれる事を期待していたと。それは甘えていたのだと。×☆●◇にいた頃の自分には、絶対にできないことだった。いつも誇り高く、誉ある地位にあるのだと、虚飾と虚勢を体にべたべたと貼り付けていた頃の自分では、あんな事は言えなかっただろう……
「(砂那……)」
「貴様!」
 鳴海が拳を振り上げ、アーニャは静かに目をつむった。
「鳴海さん! 待ってください、せっかく治療したのに……!」
 福田の声がした。目を薄く開くと、鳴海の腕を福田が必死に押さえ込んでいた。鳴海は鋭く、そして青く燃えるような瞳をアーニャから福田に移動させ、
「……デルタボーイズに伝えろ。『鍵の回収を最優先』だと。高木一佐の持ち出したジェミニのアンコモンに手をつけられたら、子供といえど手に負えない」
「はっ――あの、それから追加の情報で、『軽量バイクを運転してる人間がいる』という事ですが、こちらはどうします?」
 鳴海はベッドに転がるアーニャを見下ろした。目を細め、まるで彼女に主張するように、力強く言う。
「今更、誰の犠牲もいとうな。対象に関しても同じ扱いにする」
 鳴海はさっと背を向けると、扉に向かって歩いていく。「私達もここを離れるぞ」と言い残して。福田は慌てて返事をし、その後について出て行った。
残されたアーニャはただ、静かに天井を眺めるしかなかった。見知らぬ、暗い、天井を。
「……砂那」
 その声には、すがるような、濡れた色が混ざっている。

 
部屋を後にした鳴海は、ホテルの通路をカツカツと音を立てながら歩く。彼女は知らず、自らの親指の爪を噛み締めていた。
「(高木砂那……高木砂那……!)」
 ふつふつと、自分でも驚く程の、どす黒く渦巻く『怒り』が湧き起こる。
「(お前は幻影……ジェミニの姫が夢見た、高木一佐の幻影だ……!)」
 鳴海の中で、最後の最後で裏切った高木一佐への怒りと、それ以前の、憧れすら抱いた誇り高い兵士としての高木一佐への、倒錯した愛情のようなものが渦巻き、彼女自身すらコントロールできない、感情の燃える嵐が吹き荒れていた。
 がりがりと、爪を噛み砕き、顎を引いて、引きちぎる。
「(高木一佐は誇り高い兵士だ……彼を侮辱する幻影は、私が消し去ってやる……!)」