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 幼なじみを好きな奴なんていない。


 だってそうだろう。自分の幼い頃を知られているなんて、いつもむき出しのお尻を見られているようなものだ。幼い頃の記憶なんて、十代も後半になれば、全て無かったことにしたいものばかりだ。それを知られているなんて――――それを知られてなお、好きになるなんて、そんなことあり得るはずがない。なのに漫画やドラマじゃ、幼なじみは淡い恋を抱いて当たり前、みたいに書かれてばかりいる。両親は幼なじみとの仲を好き勝手に勘ぐってからかってくるし、友達なんて、下手したら黒板に相合い傘でも書きそうなくらいだ。そんなわけがない。絶対、好きになるわけがない。

 幼なじみなんて、だいっきらいだ。

 少なくとも、彼女は――――郁田眞子はそう思っている。

 
 『安心・安全宣言! 丸鳩引越しセンター』と、でかでかと印刷してある段ボールがあっちこっちに積み重ねられているリビングで、 腰の高さほどに積み上げられたダンボールの上に彼女は座っていた。剣呑な、少し力の抜けた感じの目をしていて、それは銀縁の人当たりのよくなさそうなメガネに覆われている。濃いダークブラウンのセミショートの髪が、開け放たれた窓から入ってくる風に揺れる。彼女は辺りの様子に全く無頓着に、雑誌を眺めていた。
 彼女は名を郁田眞子という。高校二年で通称タマコである。彼女は別段、そのニックネームを気に入ってはいない。
 彼女は暇で暇でしょうがなかった。彼女がここに来たのは引っ越しをする幼なじみを手伝うように親に言いつけられたからであって、決して自分の意志ではない。断じてない。だから彼女は雑誌を眺めている。数年前の雑誌を、なんてつまらないんだろうと思いながら、読んでいる。
「よいしょ――と」
 そこに少年が入ってきた。
 黒髪、ショートで、顔立ちはすっきりしているし、目は二重で精悍そう、半そでのポロシャツから見える腕は引き締まっているのに、その割には少しもカッコよくは見えない少年だ。えっちらおっちらと、五段ほど重ねたダンボールを重そうにリビングに運んでくる。
 タマコは雑誌から目を離し、彼を眺めた。彼は実に大変そうだった。タマコは凄く、暇だった。
 
 
 タマコが足を引っ掛けると、人の丈ほどダンボールを積み重ねて抱えていた彼は、華麗なくらいの勢いでずっこけた。ダンボールが飛び散り、中身がリビングに撒き散らされる。
 悲鳴すら上げずに、鼻っぱしを強かに打った彼は、余にも情けない顔をして立ち上がった。涙目でタマコを見る。彼女は真顔でしばらく彼を眺めた後、抑揚のない声で言った。
「大丈夫?」
 彼は涙目で――もちろんわざとタマコが足を引っ掛けたのだって分かっていて――何度も頷いて
「だいじょうぶ、だいじょう……ちょっとごめん、鼻血出た……」

 繰り返しになるが、タマコが幼馴染である彼の引越しを手伝いに来たのは両親に言いつけられたからである。勘違いしないでもらいたいのは、『幼馴染だから手伝っている』わけではない。むしろ『幼馴染なのに手伝う』だ。世の幼馴染皆に仲が良いかと問えば、返事が返ってくるのはせいぜいが五割だろう。ほとんどが自分と彼のように、不仲のはずだ。歯向かいに住んでいるのに、朝顔を見合わせても知らん振り。不幸にも同じ進学先だった高校でも、もちろん知らん振り。三ヶ月前、驚くべきことに一年半も両親不在のまま生活していた彼を、タマコの両親が家に引っ張り込んだ時も、嫌な顔はすれど、笑顔などかけらも見せなかった――お互いに。
 彼は、名を高木砂那という。
 現在彼が必死になってダンボールを運んでいるのは、引越しのためである。理由は両親不在が長く続いているので、親戚に引き取られるというものだ。母親は砂那が中学生の頃に事故で死に(それ以前から失踪してはいたが……)父親は一年半前に失踪。理由は仕事関係らしいが、砂那本人も知らないという。
 タマコは、昔から砂那とその父親の関係が多少変わっていたのを知っているので、別に不思議とは思わなかったが、それなりに異常だとは思う。普通、唯一の親がいなくなったらもっと心細そうにするのではないだろうか? すくなくともタマコなら二週間でギブアップだ。
 しかし、今、目の前で鼻に紙ティッシュのぽっちを突っ込んでいる砂那は、そうではないらしい。一年間、平気な顔して学校に通っていたし、タマコの母親が噂好きの鼻を使って、砂那の両親が長らく不在である事をかぎつけて問いただした時も、砂那は困ったような、焦ったような顔をしただけで、ため込んでいた不安感で泣き出したりするような事はなかった。
「はぁ、まぁ……」
 これが母親の詰問に対する答えである。道端で唐突にアンケートをとられても、タマコならこれよりマシな答えを用意できる。
 だからといって砂那が精神的にタフなのかというとそうでもない――と、思う。少なくとも、『今では』、砂那はタマコの前で頼りがいのある所は見せない。
「……タマコ、今日は何しに来たの?」
 砂那がダンボールを抱えながら、タマコに尋ねる。その顔に浮かぶのは、ご機嫌を伺うような気弱な笑みである。タマコはそれに嫌悪感を感じてイライラしながら
「引越しを、手伝いに来てあげたの」
 と答えた……二年前の週刊誌を読みながら。
 砂那は「ああ……そうなんだ」と、口の中でもごもごさせて呟くと、ダンボールを玄関に運んでいった。
 いっそ怒れ、と思う。
 小学生……中学校二年くらいまでの砂那なら、「ふざけんな!」くらい怒鳴ったはずだ。小さな頃から『正義のヒーロー』に憧れていた砂那は、曲がった事や、理不尽な事が大嫌いだった。『子供らしくない』とか『生意気だ』などとよくイジメられたタマコを(昔からこの常時つまらなさそうな顔で、無感動な性格だったのだ)、相手が大人だろうが子供だろうが関係なく、砂那は全力で助けてくれた事が何度もある。タマコだけではない。中学生から金を巻き上げている高校生を、石やら棒やら、奇襲急襲を仕掛けてボコボコにのしてしまったり、国道の車がびゅんびゅん通る道路で事故にあった青年を、まるで衛生兵のように素早く引きずって安全な場所まで避難させ、応急処置まで施してしまった事もある。後から来た救急隊員は、タマコがいくら「砂那が助けたの!」と主張しても、全く信用しようとしなかった。もっとも、そんな頃には既に砂那はその場を後にしていたが。
 颯爽と現れ、華麗に人を助け、それを誇る事無く立ち去る。幼いタマコにとって、彼はまさしく正義のヒーローそのものだった。
 だが唐突に、砂那は変わった。タマコが驚くほど、砂那は気弱になった。いや、気弱というよりは「どうやって生きればいいか分からない」という感じだ。いつも外界におどおどし、最近ではいつもこの調子である。言いたい事は言わない。笑っても愛想笑い。怒るなんてとんでもない。へらへら笑って、流されるままふらふら。
 今回の引越しだって嫌なはずなのだ。伊達に幼馴染ではないのだから、タマコにだってわかる。なのに言わない。タマコの両親に言われるがまま「はぁそうですか」「えぇそうします」と承諾に承諾を重ねて、いつの間にかろくでもない親戚に引き取られることになったのだ。親戚だってかなり嫌々だ。資産家らしいのだが、「息子(つまり砂那の父親)の血筋など家に上げるのもおぞましい」などとのたまっていた。血筋なんて、時代錯誤もいい所だ。しかしそれを電話越しに直接言い放たれたにもかかわらず、砂那は「ははは……」と乾いた笑いを漏らすだけだった。気弱にも程がある。
「……ん?」
 重いダンボールを何個も重ねて、一所懸命に玄関とリビングを往復していた砂那を、ちらちらと眺めていたタマコの視界に、ガムテープでがっちりと固められた雑誌――らしきものの塊が見えた。分厚い雑誌だ。それも、タマコも見た事がある。手にしていた雑誌を放って、ささっと近づいてみた。
「……砂那」
「え……何?」
 玄関から砂那が戻ってきた。
「これ、捨てるの?」
 タマコは砂那に手にしたものを差し出した。それは大きく分厚い――卒園アルバムだったポップ調の絵で楽しそうに遊ぶ動物が描かれている。中身は、さっき見た。
「うん、まぁ……向こうに持っていく荷物は、少ない方が良いし」
「これも?」
 タマコはもう一つ、アルバムを砂那の腕に重ねた。砂那は二冊の重いアルバムをよたよたと抱えながら
「小学校の卒業アルバムだけど」
「……うん、まぁ」
「これも? これも、これも?」
 タマコは砂那の腕の中にあるアルバムに、次々と足元に置いていた物を重ねた。中学の卒業アルバム、ヒーロー大全集、山のような賞状の数々――『剣道』、『合気』、『柔道』、『遠泳』、『空手』、『長刀』、『エアーライフル』、『銃剣術』――
「ちょ、ちょっと待って……重いぃ」
「……あんたなんて、大っきらい」
「は? な、なにそれ急に……ていうか、ちょっと――これ持って……重いってばー」
 砂那がよたよたと後退した。
 タマコは急に砂那が、そして自分が憎らしくなってきた。
 普段目も合わさないのに、なぜ幼馴染の引越しなんて手伝ってるのか。
 自分も同じなのだ。言いたい事を砂那にまだ言っていない。口を閉ざし、相手が気付いてくれるまで待っている。
 『そんな砂那を見てるのは嫌だ』と、気付いてくれるまで。
「……私もう帰る」
「え? ぇえ? ちょっと、待ってよ」
 タマコは砂那の声に振り返らなかった。フローリングの床にどんどんと足音をぶつけて、玄関をぶちあけて出て行った。
 
 
「な、なんなんだ?」
 砂那はわけもわからず、彼女の駆けていく後姿を見ていた。ついこの間、付き合っている先輩のために切ったとかいう、短い黒髪が、夏の真っ白な太陽に照らされ、きらきらと光を振りまいて――そして、向かいの家の玄関の奥へ消えた。
「……なんなんだ」
 もう一度、呟く。
 砂那は最近のタマコが苦手だった。向こうも随分自分のことを嫌っているようだが、砂那も嫌――というより、一緒に居辛い。彼女のそばに居ると、なんだか申し訳ないような、謝りたくなるような、奇妙な焦燥感に晒される。それが嫌で、最近では目も合わせていなかった。
「――っぁ……か、鼻、が……」
 ふと、砂那の耳に男の声が聞こえた。玄関の方からだ。目をやると、ぶち開けられた扉の向こうから、鼻を押さえた男がふらふらと出てきた。スウィングショートのパンキッシュヘアー、所々赤のメッシュが入った髪をしていて、かけているメガネはブランド物の黒縁だ。それが似合うだけの、なかなかに優男風な顔つきをしていた。が、しかし鼻を押さえて、何かの儀式のように身をくねらせて悶絶する姿は、すべてをぶち壊しにするだけのお間抜けな説得力があった。
「つぁ――! ぁぁー……折れてる……? これ、折れてる?」
 砂那はため息をついた。彼の名を呼ぶ。
「津田……何してんの」
 津田は上半身を上げたり下げたりしながら、
「鼻が痛くて、痛がってんの……ねぇこれ折れてる?」
「たぶん折れてないよ……そうじゃなくて、何しにきたの?」
「ほんとかよ、ちょー痛い……え? 何しにって? そりゃぁ、幼馴染が引越しって言うからな、手伝いに来たんだぜ」
 津田は元気良くガッツポーズをし、直後に「……ぁあ! メガネ歪んでる……」と泣きそうな顔をした。


「うわぁ! 見ろこれ、お前超アホっぽいじゃん! うわぁ親指立ててる! つぅか俺もアホ! 俺も超アホみたい!」
「……手伝えよ」
「ちょ、これ見てみ! 柴山先生じゃん! いやぁ、今見たら超可愛い……!」
 津田はタマコがぶちまけていったアルバムを眺めて大はしゃぎしていた。砂那の案の定。
「うわはっ、これ、俺とお前写って無いじゃん!」
 一見、津田はアホの子のように見えるが、成績優秀者で、私立の進学校である砂那の通う高校でも入学式で代表挨拶をしたくらいである。確かに、小学校・中学校中盤くらいまでは、かなりのアホの子だった過去が――というより、乱暴者、横着者、近所のガキ大将、といった感じだったのだが。今ではメガネまでかけて秀才気取りである。いや、実際秀才なのだが、なんだか秀才と認めたくない雰囲気あるので。
「これこれ! おい、見ろよ!」
「なに、なんだよ」
 津田はダンボールを担ぐ砂那の腕をぐいぐいと引っ張る。砂那はうっとうしそうにしながらも、内心津田のわがままに付き合うのは嫌いではないので、彼の指差す写真をちらりとみやる。小学校の卒業写真だ。校庭に咲いている桜の木をバックにして、生徒達が笑顔を並べているが、その列に砂那と津田の姿は無い。右上には丸で囲まれた、いかにもやんちゃそうな少年二人が、ふてくされた顔で写っている。
「だーはっはっはっ! 俺とお前だぞこれ! うわーぶっさいくな顔してるな!」
「……まぁ、確かに」
 元は悪くないと思うが、青タンやら歯抜けの顔がちょっと……いやいや、ほんとに。
「これなんでこんな顔してんのか覚えてるか?」
「ううん。なんかあったっけ?」
 途端、津田は酷くつまらなさそうな顔をした。
「なーんだよ、忘れっぽいなぁ! これ、俺が卒業式の日にタマコの髪をからかったらお前が怒ってさ、校舎裏でやりあってたんだぜ?」
 津田は言いながら、ファイティングポーズを作って「ふんふん」と軽く殴るアクションをした。砂那はいぶかしげに
「そんな事、あったかなぁ」
「あったあった。お前、あの頃鬱陶しい位にに正義のヒーロー気取ってたもんな。毎日喧嘩してたじゃん」
 そういえば、と少し思い出を掘り返す。津田はジャイアンなんか目じゃないくらいの悪ガキで、喧嘩っ早くて、人をからかって笑い、そして泣かしていた。特に父兄からも評判の悪いタマコは彼の格好のターゲットだった。タマコは愛想という物を知らないので(今でもだ)、友達も少なく、だから津田を止める奴はいなかった――――沙那、ただ一人をのぞいては。
「いやー最後は絶対勝利で決めたかったからな、七人くらいでお前をボコスカにしてやったのに、結局負けたんだよなぁ」
「そんな事したっけ、僕――ていうか、卑怯だなぁ、お前」
「どんな事をしても勝つ。それが俺の美学」
 ぐっと津田は拳を固め、胸の前にそれをかざした。そしておかしそうに笑った。砂那もつられて笑う。
「ていうか、お前の方が卑怯だったぜ。親父さんになんか――変な格闘技教えられてたし、センリャクだかセンジュツだか知らないけど、落とし穴掘ったり、椅子ぶん投げたり、夜中に襲撃に来たり、給食食べてる時に牛乳瓶投げてきたり、とにかく容赦がないって言うかさ……。だから俺も、やるだけやったわけ」
 砂那は「そんな事してたかなぁ」と呟き、しかし案外悪びれずに
「ふーんまぁ、悪かったね」
「まぁな。ふん、俺もわっるい奴だったからな。お互い様だな。わっはっはっ」
 と津田は豪快な笑い声を上げた。砂那もやっぱり、つられて笑った。そしてひとしきり笑った後、津田は「ふー……」と息を吐いた。
「……俺さぁ、学校辞めるかもな」
 唐突に言われて、砂那は半笑いのまま尋ね返した。
「え?」
「いや、もうお袋に無理させたくないしさ、うちの会社も、いつまでも休業してると社員さんが別の会社に流れちゃうしさ」
「……」
 津田の実家は豆腐製造業者である。そこそこの大規模な会社だが、数年前社長である祖父が他界。父親は既に事故で亡くなっていたので、後を母親が継いだが、不況のあおりを受けて経営は傾き、無理がたたった母親も病院送りという、なかなかに壮絶な状態だ――――と、この間津田本人に訊いたばかりだった。
「来年いっぱいくらい通ってさ、そっから働こうかなって。いやいや、俺だけじゃもちろん無理だからさ、お袋とか、会社の役員の人とかに色々教えてもらってさ。凄くね? 俺次期社長候補」
 砂那は何か、かけるべき言葉を捜したが、見つからず、結局小さな声で
「そうなんだ」
「うん。そう」
 津田は頷いた。
 それから津田はアルバムをぺらぺらめくった。たまに小さく笑ったり、ため息のようなものをついたり、最後に大きく息を吐いた。
「お前引っ越すのか。タマコも悲しむなぁ」
「……いや、それはないと思うけど」
「いやいや、悲しむね奴は」
「ふーん……」
「不思議だなぁ。ちょっと前までお前と殴ったり蹴ったりしてたのに、今じゃ仲良く話してるしさ、悪がきの俺は勉強の虫になって、正義のヒーローだったお前は超気弱のウジウジ君になって」
「うじうじ君って……」
「んでお前とタマコは仲悪くなって、俺は豆腐屋になる」
「…………」
 津田はリビングの床に寝っころがった。アルバムを両手で天井にかざし、眺める。砂那は、津田が何を思っているのか、はっきりとは分からなかった。だが、こういう時、何も言うべき言葉を持たない自分が、あまりにも歯がゆい。
 津田は、ぼんやりとアルバムを眺めながら、呟いた。
「……俺、豆腐嫌いなんだよな」