Eje(c)t


「君の欲望は何だ、イジェクター?」
 幼女は自らをDr.(ドクター) と名乗った。食卓の上にあった果物の山をざるごと引き寄せ、ひたすらリンゴだけを引きずり出して、黒いマニキュアでぬらぬらと光る長く鋭い爪を突き立てると、垂れた汁を舐めあげるのだ。
「ここは欲望の引き受け場所。教会では欲望は全て我慢しろと教えられるが、ここじゃ解放しろと私が命じる。君の欲望も全てかなえる事が出来るんだ。君は何が欲しい? 金? 女? 財産? 食い物?」
「何で爺さんの事を知ってる」
 彼女の対面、長々とした食卓を挟んだ席で、武装した女達に囲まれた黒瀬は、低い声でそう言った。彼の前には切り分けられたリンゴが皿に盛られていたが、一切手はつけていない。
「それが君の欲望か」
 Dr.は何度も頷いた。
「君の祖父と私には交友関係があった。古い友人、というわけだ」
「お前みたいなガキと俺の爺さんがどうして古い友人になる。ふざけるなよ」
「君はつくづくおもしろい男だ。外側世界(アウターワールド)の英雄だが、その魂は極めて現実世界に近い。この世界にあるものと現実の世界は合一であるとは限らないのを知らないとは……欲望と理想は現実に存在しえないから虚構に存在しえる。これはプレイヤーには極常識的な認識だがね」
「俺にとって"極常識的"なのは話をする時は要点を話すって事だ」
 黒瀬が吐き捨てた嫌味に、Dr.は感心したように笑みを浮かべた。
「いいぞイジェクター。悪くない。……独立独歩、君は何が正しいのか自分で分かっている」
 人差し指の爪で串刺しにしたリンゴを一囓りし、細い喉で嚥下する。
「ヒントをやろう。君の祖父が所属していた部隊について」
 部隊……? 一瞬何のことだかわからなかったが、屋敷の地下で見た銃や銃弾の散らばった光景がフラッシュバックした。
「戦中、君のお爺さんはSADと呼ばれる諜報部隊(インテリジェンス)に所属していた。通称、鴉隊」
「S……何?」
「Special Activities Division。難しい事はいい。要は、この部隊が参加していたフォース22とよばれる仮想現実(ヴァーチヤルリアリティ)訓練さえ知っていれば」
 彼女は口元をもたげると、串刺しにしたリンゴを小さな口へ運んだ。
「鴉隊は、40年前の極東戦争時に活躍した民間軍事会社(PMC)に所属していた。ミコト・セキュリティサービスという名に聞き覚えがあるはずだ」
 全く知らない名だ、と思ったが、唐突にあの……ジョーだとか名乗っていた記者の言葉を思いだす。V-tecLife社について話をしていた時、あの男は、Play fun!12を生み出したV-tecLife社の前身が、ミコトセキュリティサービスという名の民間軍事会社だと言っていた。
「爺ちゃんは傭兵だったって言うのかよ」
「兵士だった。とだけ言っておこう。そんな事はどうでもいい話だ――――ミコトセキュリティサービスは民間軍事会社などと名乗っているが、実際は米軍の下請け企業だ。米軍に依頼されたら、なんでもする。『フォース22計画』も米国が推進していたランドウォーリア計画と呼ばれる次世代兵士計画の一環だった」
 Dr.がその小さな指をつい――と動かすと、教会のあちこちにタスクウィンドウが立ち上がった。ウィンドウは黒瀬に見せつけるように、天井の高いホールの中を動き回る。そこには全身黒づくめの兵士達が素早く動き回るの姿が映し出されている。手に手にライフルを手にした彼らが、グリーンの線(ワイヤー)で描き出された3D 空間で射撃をする映像、精神病棟のように潔癖な白に塗りたくられた空間で、体中にチューブやセンサーを取り付けられた男達が、ライフルを構えている映像、フルフェイスのヘルメットに戦闘機のコクピットに表示されるようなヘッドアップディスプレイ(HAD)が映し出されている映像、映像の下には、国際共通語で説明が付け加えられている。
「『仮想現実空間は、軍に無限の環境を与える』――――フォース22計画の謳い文句さ。君は現実に限界を感じた事はないか?」
「現実の、限界……」
「そう。時間という限界、物質という限界、規範という限界、金という限界、それに、命という限界――――我々ミコトセキュリティサービスの研究者達は、その限界を突破する技術を手に入れようとしていた。すなわち、仮想現実(ヴァーチヤルリアリティ)を。現実と何ら変わらないもう一つの世界を、好きなように創造し、好きなように編集し、好きなように運用できる――――」
 ほとんど何を言っているのかはわからなかったが、最後のフレーズには聞き覚えがあった。「それって――――」
 「そう」、Dr.は囓りかけのリンゴを皿に載せた。
「この『フォース22計画』は、外側世界(アウターワールド)の原型なんだよ、イジェクター」
 黒瀬は眉をひそめた。こいつ、何者なんだ――作り話にしては、あまりに聞き覚えのない単語がぽんぽん出てくる。騙すつもりにしては、突拍子がなさ過ぎる。もしこれまでの話が本当なら、現実世界の彼女はただ者ではないのは確かだ。祖父の旧友だと口にしていたが……
「私はこの研究に携わった主任研究員の一人だよ。そして君の祖父はこの計画の実験に極めて初期の段階から参加していた被験者だった。言わば……チャーリィとハロルドの関係だよ。この例え、わかるかね?」
 Dr.の思わせぶりな口上に乗るのが嫌で、返事はしなかった。Dr.はどうとったのか、鼻を鳴らして笑った。返事は全く必要としていないようだった。それから一息ついて、なにかを反芻するように黙り込んだ。
「……だが実験には失敗がつきものだ。むしろ、それを発見する為に実証実験はある。我々のシステムは――はっきり言って法外(イリーガル)だった。科学者は皆、倫理と発展の境界線上にいる。そこには時々……そう時々、悪魔が入り込む。A・アインシュタインの研究を元に創られた核技術、医療の発達はヒトゲノムを解析し命の再定義を必要としてしまった。そして、我々の研究にも、悪魔が入りこんだ。いや、それだけじゃない」
 Dr.の顔がこちらを向いた。どす黒い感情と理性に揺れる、剣呑な瞳。
「事故だ――――最悪の事故が起きた。そして、悪魔は解き放たれた」
 悪魔? 黒瀬は眉根を寄せた。
「思わせぶりに言うなよ、何がおきたんだ、悪魔って何だ!」
「君のお爺さんだよ」
 突然現れた祖父の名に、黒瀬は思わず言葉に詰まった。
 Dr.がリンゴに突き刺さっていたナイフを引き抜き、それを黒瀬へと向けた。
「アウターホリッカーを発生させているのは確かに君のお爺さんなんだよ。君のお爺さんが、システムに大量殺人の構造を仕組んだんだ」
 思わず、疑念の塊が口をついて出た。
「で、でたらめ言うな! なんで爺ちゃんが――――!」 
 さぁね、と言わんばかりに、Dr.は玉座に背を預け、両手を開いて見せた。
「ここから先は有料だ。すべては君の"選択"次第だよ、イジェクター」
「ふざけるなよ、お前――――」
「君は誰かを愛した事があるか」
 唐突に尋ねられ、黒瀬はうっと息を詰まらせる。
「人が社会的な生き物である限り、他人と係わりたいという欲望は存在し続ける。数ある欲求の中でも、その欲望は、深い絶望感を伴った、最も強い欲求の一つだ。現実世界にどれだけの人が孤独を味わい、他者との交流を渇望しているか君は知っているだろう?」
 黒瀬は閉口する。どうやら、Dr.のいう交渉とやらが始まったらしい。
「……知るかよ、わけのわからない事言ってないで、さっさと本題に入れ」
「もう入っている」
 間髪入れずにDr.は答えた。
「これは愛だよ。愛についての話なのだ。私は愛が欲しい。――――勘違いするな、私にだけ向けられ、私だけが満たされる愛ではない。欲する者に分け隔てなく、枯れる事のない泉のように愛を注ぐ『愛の担い手』が必要なのだ。私のこの、世界にはな」
 …………何、言ってるんだ、こいつ。「愛が欲しい」なんて台詞を、まるで「必要な物資を一ダース揃えたい」とでも言ってるかのような即物的な口調で話す。愛の担い手って……なんだ?
「君はかつて統一半島で実験された『セルロースのゴースト』実験を知っているかね?」
「……知らない。何が言いたいんだよお前」
「人の認知実験だよ。極めて精巧に作られた人工知能を、人間そっくりのロボットに搭載して、被験者と交流させるのだ。被験者は最初はロボットに興味を見せるが、時間の経過と共に無関心になる。ところが同じ被験者に今度は人間の脳を培養した豚と交流させると、永続的に豚に興味を失うことなく、それどころか愛情すら抱くという。そういう実験だ」
 どこかで聞いた。通信教育の歴史の項目で見た気がする。アジア大戦時の混乱に乗じて行われた、非人道的な実験に関する項目、だったはずだ。
「人間はA.I.に欲情はできても、愛情は抱けないのだよ。だが例え姿は豚でも、『魂』と呼ばれる論理化できない構成要件がそこに存在すれば、愛だって芽生える」
「宗教の話をしてんのか? 宗教は好きじゃない」
「私もだイジェクター。愛は極めて有機的な事象連続の行き着く所にあって、神の専売特許じゃない。だが私のA.I.ではそれは再現不可能なのだ。これまでだって、様々な方法でそれを再現しようと試みた。極めて人間らしい思考、選択による結末の変化――――だが全て失敗に終った。君だって、愛を渇望しているが、私のA.I.達に淡い恋心をいだいたりしないだろう?」
 黒瀬は目を細めた。Dr.をねめつける。こいつの言説はのらりくらりとしていてわけがわからないし、気にくわない。が、今のは分かった――――自分は、侮辱されたのだ。恥も外聞もなく、この如何わしい島で娼婦を買いあさる男共と同じ、"愛を渇望する"奴なのだお前は――――こいつはそう言ったのだ。
「あぁ、いい目をしているな。そういう目だよ。そういう目をした連中が、私の世界を訪れるのだ。失ってしまった、あるいは最初から手にした事もない愛情に飢えて、求めて、渇望して――――」
「おいッ!!」
 感情の任せるままに、卓に拳を叩きつけた。空っぽの食器達が、ぶつかり合って不協和音をあげる。
「何が欲しいのかさっさと言え! 爺ちゃんの情報の代わりに、何が欲しいんだよ、お前は」
 Dr.はふっと口元を歪める。
 次の瞬間、突然背もたれに預けていた背中をがばっと起こし、彼女は凄まじい跳躍力で黒瀬の眼前に飛び込んできた。慌てて立ち上がろうとした彼の胸ぐらを掴み、らんらんと輝く真っ赤な相貌で見あげる。
「彼女が欲しい」
 黒瀬は、生唾を嚥下した。
 懐に潜られすぎた。Dr.がその気になれば、その鋭い爪で黒瀬の喉をかききるなど造作もなく出来るだろう。これだけ近づかれては、避ける術がない。喉元をなぞる鋭い爪の感触を見つめながら、緊張に震える声でつぶやく。
「彼女って、誰だ……」
「彼女さ。歴史上最も精巧な『魂』の模造品。人間の寵愛を受けるに値するデジタルな生命体。無限の愛の泉にして、そして――――今は君の相棒なんだろう? イジェクター」
 Dr.が舌なめずりをする。黒瀬の思考がふいに、その可能性にぶつかった。この小さな悪魔が言う、魂の模造品とやらに。無限の愛の泉、人間の寵愛を受けるに値する、デジタルな生命体。それはつまり、アウターワールドにしか存在しない、極めて人間『らしい』、人間ではない生き物――――
「コーディを寄越せってのかよ……!?」
 Dr.は正解を引き当てたのをほめるみたいに、黒瀬の頬をその小さく冷たい手で撫でた。
「私の名前はDr.ピグマリオン。理想を現実に変える男。愛を作り出す奇術師。君の相棒は愛の餓鬼達を救う救世主になるんだ」
 ぱっと手を離した彼女は、卓の上で舞い踊るようにくるりと回った。
「あぁ、君にも見えないか? 全ての人々は遂に愛情を自由に、無限に得られるようになるのだ。有志遙か以前より続いてきた愛憎の歴史は終わりを告げ、人々は皆、エゴにまみれた自らの欲望を堪え忍ぶ必要がなくなる。これからは好きなように愛情を作り上げ、好きなように愛し、愛され、そしていくつもの愛を同時に育む事が出来るのだ。これこそ、人類が望んできた愛の溢れる世界だ。誰も苦しむことなく、欲するがままに愛を得られる。そう、まさに愛ですら手に入れる事が出来たなら、あぁ、アウターワールドはより完璧な世界となる。ここはもう外側の世界などではない、ここはまさに――――楽園だ」
 黒瀬は発狂したかのようなDr.の姿に、動揺するように震える瞳を向けていた。おそるおそる、うかがうように、背後に浮かぶコーディに視線を向ける。彼女は淡々とした表情をしていた。
『彼は私のA.I.を解析するつもりのようです。私のプログラムを応用して、人間により近いA.I.を作るのでしょう』
「お前を解析するって……」
 黒瀬は声に出さず、戸惑う。
「あいつ、狂ってるんだよな……? なんでお前が……」
『彼の言うとおり、私はおそらく、歴史上最も精巧に再現された人間の模造品(プログラム)です』
 なんだよ、それ。黒瀬が口にしようとすると、Dr.が先んじて言った。
「君がコーディと呼ぶ彼女は、戦時中、とある法外(イリーガル)な方法で製造されたこの世界で最も精巧なA.I.……いや、人間の生き写しと呼んでも言い。アウターワールドに転写された人の命そのもの。彼女が私の手に移れば、デジタル世界に人間の精神が転写される。人間の命が自由に創造できるようになるのだ」
 Dr.は背中に生えた小さな翼を羽ばたかせて、宙に座るように腰掛けた。
「さぁ、条件は示した。君はどうするかね。そこにいるんだろう――――? 君の脳の中に、彼女は」
 Dr.が黒瀬の頭を指さす。指先を見つめながら、冷たい汗がじわりと吹き出すのを感じた。
 祖父の秘密は知りたい。祖父は自分をこれまで形作ってきたいわばひな形であり、目標であり、生きる指針だった。その祖父に大量殺人の嫌疑がかけられている。そんなもの、真実でないと信じてはいても、祖父が死の直前何を思ってアウターワールドにいたのかは未だわからない。一方で、過去に重大な何かがあったという事は、これまでに出てきたいくつもの証拠が裏付けている。これから進もうとする道に陰りがかかったままなのだ。間違っているかも知れない地図を手にして、どうして広大な「昼の世界」を歩けるだろうか。なんとしても祖父の嫌疑を晴らし、地図が間違っていない事を証明しなくてはならない。

 だが、コーディはどうなる

『悪くない取引です』
 傍らに浮かんだ彼女がそう言った。
「やめろよ……黙っててくれ」
『私の生きる理由(アイデンティティー)はあなたです。イジェクター。イジェクターの存在と目的が私を存在させる。彼の有している情報の有用性と希少性を、あなたの目的と鑑みれば、悪くない取引で』
「黙ってろッ!」
 はっきりと口にしてしまった。思わず口を押さえ、それからぬぐうように離した。
「イジェクター……断る理由はないと思うが」
 Dr.は頭を指さして、
「ここに得体の知れない生き物がいる事は不快だったんだろう? 私ならシステムをソフト面から切り離せる。君は平凡な日常に戻り、その上祖父の本当の目的と過去を知る。記憶を走査するに、君は孤独に安心感を覚えるタイプじゃなかったかな?」
「……お前が爺さんの過去を本当に知っているとどうして言い切れる。全部嘘じゃないのか」
「それは彼女に訊きたまえ」
 黒瀬がコーディを見ると、彼女はやはり淡々と
『おそらく彼は嘘をついていません。Dr.の古い記憶領域に、意図的にロックされた情報網があり、確かにそこにはイジェクターの情報らしき痕跡が確認されます。捏造されたものにしては、この情報網は記憶領域の奥に入り込みすぎています。彼は本当に、前イジェクターの過去と目的を知っていると推測されます』
 黒瀬は歯噛みして頭を抱えた。いきなりボールを転がされて、ゴールを決めろと言われている気分だ。それも、ゴールを決めたら試合相手は皆処刑される、みたいな、酷い条件で。
「……コーディがお前の手に渡ったら、どうなるんだ」
 教育を施す。Dr.の無邪気な声がホールに木霊する。
「男達の――開発が進めば女達の求愛に応えられるよう、それに適した教育が施される。時に従順で、時に引っかき回すような、そんなルール付けをするんだ。本当の愛を捧げられる、極めて精巧な『愛』の模造品としてね」
「……ここにいる連中みたいな、ダッチワイフにするつもりかよ」
「それは間違いだよ。全くの間違いだ。君はこれがどれだけ素晴らしい創造か分かっていないようだ。彼女は物言わぬダッチワイフじゃない。真実の愛を受けとめる、マグダラの(聖母)マリアとなるのだ。だから彼女は人形ではなく、むしろ神に近しい存在に」
「どう言ったって」黒瀬は語気を強める。「結局ダッチワイフと同じだ。娼婦に仕立て上げるんだろ」
「……いいだろう。そう思うなら思えばいい」
 Dr.は声色を低くしてそう言った。
「彼女を娼婦にして祖父の情報を得るか、ここで永遠に祖父の情報を失うか。二つに一つだ。ネゴは無し。どちらか"選択"したまえ」
 黒瀬は彼女をにらみつけながら、唇の端を噛む。わかっている。所詮コーディはプログラムなのだ。いくら精巧だと言っても、所詮は作り物の模造品。ただのA.I.だ。コーディだってそれが分かっているから、悪くない取引だなどと平然と言ってのけるのだ。
 コーディの表情は凛として動かない。柔らかな羽毛に包まれた氷のようだ。何を思っているのか、考えているのか。今Dr.が口にした意味を、彼女はどう思っているのだろう。誰とも知らぬ男をただひたすらに愛する人形に――――『愛の模造品』になるのに嫌悪感を感じないのだろうか。
「…………」
 何を迷っている。冷静になれ。冷徹になれ。下らない感傷は押し殺して実益に徹しろ。お前が今抱いている感傷は、長年使ってきた家具や車に抱く感傷と同じだ。まったくガキが「捨てるなんてかわいそう」などとのたまうようなものだ。筋金入りの博愛主義者でもない限り、そんな感傷は無用の長物。対して祖父の情報の価値を考えてみろ。他にどうやって祖父の過去を知る得るって言うんだ? それにあの脳の中でうろちょろしている女を、一生頭の中で飼うわけにもいかないはずだ。よく考えろ。最良の結論は、もう、でているはずだ――――
「……本当に爺さんの事を教えてくれるんだな」
 こし出すように口にした言葉を聞いた途端、Dr.は満面の笑みを浮かべた。
「交渉成立だな、イジェクター」
 Dr.が宙に手をかざすと、透過ブルーのタスクウィンドウがその手中に現れた。それを裏返しに机の上に伏せると、長い爪で弾いて黒瀬の方へ飛ばした。机に写り込んだウィンドウが、黒瀬の前に滑り込む。
「さぁおいで『コーディ』」
 Dr.が誘うように手をさしのべた。傍らで、わずかにコーディが自分に眼を向けたのがわかった。が、それに視線を返す事は出来なかった。どんな思いで彼女を見つめればいいのかわからない。奴隷商人のような目か、哀れみの目か、あるいは目的のためには手段を選ばない冷徹漢の目か。何も言える事もなかった。こんな状況で謝罪の言葉を口にする程、黒瀬は愚劣ではなかった。恥知らずでは、あったかもしれない。
 彼女が黒瀬に眼を向けたのはほんの一瞬だった。黒瀬は脂汗を浮かべて床を見つめるに徹し、悪い夢が覚めるのを待つ。彼女は視線を逸らすと、Dr.の元に滑るように飛んでいった
「おぉ……素晴らしい。完璧だ。君はまさに、完璧だよ、コーディ」
 Dr.は傍らに降り立った彼女に手を伸ばし、その肢体をなで回した。体中を舐め取るように顔をなでつけ、大きく息を吸い込む。その痴態はまさに老いた男のそれで、現実のDr.が老齢の変態野郎だというのが黒瀬にもすぐに分かった。
 その背後で、武装した女がコーディの手を静かに取り、両手に手錠を落とした。重い金属が、耳障りな金属音を立てる――――コーディはまるで人形のように無表情だった。
 黒瀬は手元に滑りこんで来たタスクウィンドウに指をつける。裏返せば、祖父の情報が得られる。そこに全てが書いてあるはずだ。祖父があの屋敷から姿を消して以来、ずっと求め続けてきた物の全てが。
 薄っぺらい、ウィンドウだった。
「さぁ、何か話してごらん」
 Dr.がそう語りかけても、コーディはやはり人形のように押し黙ったままだった。
「……そう、それでいい」
 Dr.は心底うれしそうにそう囁いた。
「こんな時、人間は何も言わない」
 コーディの細い喉にDr.の指が這う。
「さぁ、言葉はもういらない」
 感触を確かめるように蠢き、柔らかな肌を堪能した指先は、彼女の顎の下を這い、その口元を持ち上げた。淫猥な手つきに合わせて、Dr.の顎も艶めかしく上がり、その真っ黒なルージュに染まった小さな唇が、ほんの少し開いて、コーディの唇を支配するみたいに、飲み込もうとして絡みつき


 炸裂音がした

 
 高熱の固まりがDr.とコーディの唇の間を裂いて飛翔し、その背後に立っていた武装した女のみぞおちを抉る。Dr.が爬虫類のような目をぐるりと炸裂音の方に向けると同時に、撃たれた女が腹を押さえて崩れ落ちる。彼女の背後に掲げられていた、黒い逆十字架の描かれた胴体に、鮮烈な紅い血が、絵筆を振るったように飛び散った。
 Dr.が目にしたのは、両手でしっかりと拳銃を握りしめたイジェクターの姿だった。コーディが、何かを叫ぼうと唇を振るわせる。その瞬間、武装した女達が素早く反応し、抱えていたライフルを人外な速さで黒瀬に構える。
「オーバークロック」
 ガスマスク越しのくぐもった声。
 世界の流動が滞る。
 全ての力学運動は黒瀬の前にひれ伏して、彼の前ではその全能性を喪失する。
 今まさにライフルから845m/secで弾き出された弾丸が黒瀬に猛然と襲いかからんとする緊張の極み、その一瞬が切り取られ、濃密な三秒間が始まる。
 テーブルクロスをひっつかむ
 長机の向こう、Dr.の背後に控えた女達がにわか色めき立つ。彼女たちが一斉に発砲した弾丸の雨あられへ向けて、黒瀬はクロスを一気に引き揚げた。真っ白なシルクの波が、ホールの暗闇に高々と舞い、発砲の閃光に煌めく銀食器と、紅く艶やかな林檎を暗闇にまき散らす。
 白い波を切り裂いて迫る弾丸。
 その弾道は、まるで手に取るように精確に把握できた。
 熱く燃えたぎるような本能や肉体とは正反対に冷え切った理性が、身体を弾道から最も効率的に避けるルートを瞬時に割り出す。真横にステップジャンプした黒瀬は、空気を裂く甲高い鳴き声を上げる黄金色の弾丸を、ほんの数ミリの距離を残してすり抜ける。だが無数の弾丸の群れは、一発目を回避した黒瀬を逃すまいとさらに次弾、次弾と迫り来る。マスク越しの黒瀬の目が、白目を血走らせながら迫る弾丸を視界に捉える。回避のステップを、無骨な舞いのように刻む。一発、二発、三発――――ほんの少しかすりでもしたら全てのバランスは崩れて、一気に無数の弾丸が全身を切り裂いて血だまりに伏す事になるであろうそのステップを、焦りと恐怖、そしてそれ以上の熱情の狭間で刻んでいく。弾丸が切り裂いたテーブルクロスの裂け目の向こうで、勝利を確信して射撃中止の合図をする女達を目にする。
 黒金の拳銃を引き揚げる
 狙う先は、敵弾が切り開いたテーブルクロスの穴の向こう
 敵の弾丸が開けた穴を通して、その向こうで数に頼んで強者を気取る敵を撃ち殺す――――もはやそんな事が可能かどうかなどという疑念すら浮かばなかった。やる。やれる。だがら、やるのだ。弾丸を避けるステップの合間に、スタッカートのように射撃のステップを刻み込んだ。踏み込む前足、安定させ、片手で構えた拳銃の銃口を、テーブルクロスに無数に開いた創口の一つに指し向ける。敵ははためくクロスに阻まれてこちらの姿を捉え切れていない。目を凝らしている姿が見える。その顔に、銃口を、向ける。

 撃った

 最初の一発が着弾する前に、発砲の反動を利用して次の標的に狙いをつける。クロスの向こうで上がった炸裂音に目を剥く女を穴の向こうに捉え、再び発砲。さらにその横で驚愕に目を見開きながらライフルをこちらに向けようとする女に、跳ね上がった銃口をそのまま向ける。三度目の発砲音が黒瀬の手中で跳ねる。そこに至ってようやく、最初の一人目に弾丸が着弾した。黄金色の弾丸がたたき割った頭蓋が、骨の破片をまき散らしながら真っ赤な鮮血をばらまく。砕けた眼下からこぼれ落ちた眼球が宙を舞う。そこで二人目の敵にも着弾。信じられないとばかりに見開かれた相貌を挽きつぶすように眉間へ弾丸がねじ込まれ、真っ赤な鮮血が舞う。同時に黒瀬は四人目の敵に向けて弾丸を放った。

 そして時は急速に力を取り戻す

 濃密だった三秒間は終わりを告げ、正常な四秒目に向けて時間は凄まじい速さで進み出す。いくつもの出来事が同時に、一瞬で起こった。
 まるでチェーンガンのような連射音が黒瀬の手元から響き渡り、機械じみた精確さで発射された何発もの弾丸が、最後に残った女の身体をズタズタに切り裂く。光源のない薄暗い部屋は、放たれた閃光に何度も真っ白に染まり、その光に、女達の体から吹き出した鮮血が艶やかに煌めいた。
 ライフルが次々と床に落ちて、叩きつけられたフレームががちゃがちゃと音を立てた。右から左へなぎ払ったように、女達はもんどり打って崩れ落ちる。
 天井に向けて舞い上がっていたテーブルクロスが、後から訪れた静寂と沈黙を引き連れて、はためきながら、全ての事態を微動だにせず静観していたDr.の背後に滑り落ちていった。
 真っ白なクロスは、彼女たちの亡骸を覆い隠し、一瞬の惨劇に、静かな終止符(ピリオド)が打たれた。

 後には、コーディを抱くDr.の姿だけが残った。

「……どういうつもりかね」
 Dr.は不作法な闖入者でも見るような目で黒瀬を見つめた。同じ言葉を、別の意味で問いたげな視線を、コーディも投げかけている。どうして。そう言いたげな視線を受けた彼は、ただじっとDr.の眉間に銃口を向けたまま、こわばらせた肩を怒らせて、言った。
「交渉決裂だ」
 片手でタスクウィンドウを指で弾き、Dr.の方へと飛ばした。彼女――彼?――がそれを指で止め、肩をすくめる。「私のかわいい娘達を殺す前に決断して欲しかったね」。黒瀬は答えず、テーブルの上を歩いて接近する。
「……ぅう、くぉ――!」
 テーブルの上に血を流して突っ伏していた女が、傍らに転がったライフルに手を伸ばそうとした。黒瀬はそれに目も向けずに無造作に片手で撃ち放つ。暗闇を切り裂く鋭い閃光と炸裂音。びくんっと女の体が跳ね、頭蓋の骨が血と共に舞い上がった。
 そしてDr.の目前まで迫った彼は、血しぶきにまみれたガスマスク越しの目と、手にした拳銃を、その幼い未成熟な頭にねじ込むように向ける。彼の身体から獰猛な怒りが揺らめき立つ。身体から発せられたその劣情まみれの憎しみの熱が、遠慮容赦なく押しつけた銃口からにじみ出ていた。
 迷惑そうだったDr.の口元。
 そこに、ニヤついた笑みが、浮かびあがった。
 それは次第に高らかな哄笑へ変わり、幼い少女の甲高い笑い声がホール中を蹂躙するように駆け巡った。マスクの奥で困惑と怒りがない交ぜになって眉根をねじり上げた黒瀬が、喉の奥の熱をはき出すように叫ぶ。
「何がおかしい!!」
 ゆっくりと
 Dr.の視線が、黒瀬の瞳の奥へと降り立つ。
「私の用意したシナリオはどうだったかな? 素晴らしい"選択"をありがとうイジェクター」
 はっとした黒瀬に、Dr.は晴れやかな笑みを向ける。
「ただのプログラムの集合体に過ぎない、演算ソフトの疑似人格である『コーディ』。命もない、肉体もない、ただの論理演算と映像投影技術の産物に過ぎない、精巧な人形。私はA.I.の限界を知りたかったんだ。デジタル上に描かれたこの人格が、本当に寵愛を受けるに値する存在なのか。君は彼女を――――」
「お前を排出(イジェクト)する」
 Dr.の言葉を遮るように、黒瀬は宣言した。得体の知れない焦りがその胸の内をかき乱していた。ダメだ。これ以上、言わせてはいけない。もし、言われてしまったのなら――――もし、事実としてその言葉を突きつけられてしまった、自分は――――
 黒瀬が撃鉄を引き上げる音を見つめ、Dr.は彼の瞳の奥へ嘲笑と呪詛を滑り込ませた。
「素晴らしい……これで証明されたのだ、『精巧なA.I.は人の寵愛を受けるに値する』――――君の選択はまったく賞賛に値するよ。彼女は幸せ者だ。コーディは電子上初めて人に愛された作り物(プログラム)となった。そして彼女を愛した青年(フランツ)は――」
 黒瀬の瞳がぎゅっと見開かれる。
 震える瞳孔、噛みしめられる奥歯
 引き金にかける指に力がこもる
 だめだ
 いますぐ押しつぶせ
 ――いますぐ!!
 ふっと、Dr.は皮肉めいた笑みを浮かべた。口角が持ち上がったその顔が、煮えくりかえった腹を熱く熱した。
「"君"だよ、イジェクター――――トゥルーエンド、おめでとう」
 黒瀬の見開いた目が痙攣するみたいにさらに大きく見開かれた。血走った目がマスク越しにDr.を凝視する。コーディは彼とDr.にさっと交互に視線を交わし、
『……やめるべきです。これは挑発で』
だがそのコーディの勤めて冷静たらんとする声が、はち切れそうになっていた緊張の糸に最後の衝撃を与えてしまった。
『――――ッ!? イジェクター!!』
 彼女の叫びと同時に炸裂音が響き渡り、小さな悪魔の頭には鉛の弾丸がたたき込まれる。目をひきつぶして、脳をはじき飛ばした。世界が暗転し、ゲームの電源は落とされる。










 [題名] Helo there!

 [from] Dr.<xx_xxxx@u-tokyo.jp>
 [to]  黒瀬 完爾<xxxxxx@v-tec_life.co.jp>
[Date] Thu 21 Spr 2078 20:28:50 +0900

 このメールは秘匿回線で送られ、閲覧は君しかできないよう、フィルターがかけられている。君の頭の中にいる、小さな妖精に見えないようにね。

 君の選択は素晴らしいものだったよ、イジェクター。
 君に語った通り、私は理想を現実にするため何でもする。だが君のお爺さんという"失敗"を経て、私の中には形容しようのない、『恐れ』が生まれていた。再び致命的な失敗をするのではないか? 愛は有機的な事象連続の先にあるのではなく、再現不可能な虚無の底に沈む無形のものではないのか。私は底なしの海溝にあるはずもない果てを求めて沈む、憐れな探求者ではないのか。その予感は恐ろしく、私の精神を蝕んだ。そう、私を外側中毒にさせる程にね。
 だが、君だ。
 君は彼女を選び取った。これは重大な事なんだよ、素晴らしい事だ。証明されたのだよ。君の苦悩する姿、その選択、それはまさに『愛』だった。これで確証を得る事ができた。A.I.の開発が究極的に進めば、愛はいつかそこにうまれる。これで私も研究を続けられる。愛を創造する、研究を。これはコーディを創造する研究といった方が良いかな?

 さて、君がこれから祖父の秘密を求めるなら、君は同時に外側世界(アウターワールド)の真実を見つめざるを得ないだろう。それに君がどう結論を下すのか、今から楽しみでならない。もちろん君はコーディを選んだのだから、私はその手助けをする気はない。だがせめてもの餞別というのは必要だ。これから死地へおもむこうという若者には、それくらいの報いが必要だと私は考える。彼女をスリープモードにするスクリプトを用意した。彼女に知られたくない事をする時に活用すると良い。浮気したり、隠し事をしたり、逆に――――隠し事を探ったりする時にね。
 それともう一つ、ヒントをやろう。 


『コーディの本当の名は、"アマタ"だ』


 君の幸運を祈っていてるよ。きっと茨の道だろうから。
 あぁ、それと最後に。

『W.makerには逆らうな』

 では、よい旅を、排出者(イジェクター)。









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