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 無軌道バス、というのはここ二十年くらいで普及した新しい交通手段だ。
携帯端末や個人認証装置で現在位置情報を無軌道バスのサーバーに送ると、そのほかの乗客や乗せている客の目的地との兼ね合いを計算して、もっとも効率の良い経路を算出して自動的に巡回路を決定するという――――いわば脳みそのついたバスだ。どこまで迎えに来るか、どこまで目的地に近い場所で降ろされるかは利用する度に多少ばらつきがあるが、それでも従来のバスよりははるかに交通の便がいいので今はこれが地上での主流な交通手段だ。
 流線型が強調されたフォルムの一般車の群れに紛れて、見上げた空の形を変えてしまうくらい巨大なビル群の間をバスは行く。黒瀬が住む郊外から少し離れた、騒々しいオフィス街だ。窓の外に立ち並ぶビルの側面はディスプレイになっていて、それを一面使った巨大な映像広告が華やかに踊っている。新しい電子端末をスマートに操作する白人男性や、風味豊かな炭酸飲料が水滴の光るコップに注がれる様子、ハリウッド製の新作共感映画(トレスエクペリメンス)が壮大な音と共に衝撃的な映像をフラッシュバックする。 
『一週間前、ついに再び姿を現したイジェクターについて真偽が論じられる一方、その復活に全世界が湧いています』
 バスの窓からぼんやりとディスプレイを見つめていた黒瀬は、一際高い位置にある看板でニュースキャスターがそう言ったのに思わず反応した。席に沈み込ませていた腰をただし、目を凝らす。
 キャスターの映像はすぐに切り替わり、どこかわからない外国の趣がある街中の映像に変わる。街の通りを、老若男女、無数の人々が戦争に勝ったみたいに狂喜乱舞しながら行進している。彼らは皆一様に灰色で無機質なフィルターに覆われたガスマスクをかぶっていて、それが彼らを無表情な一群に見せている。不気味だ。特派員らしきマイクを持った男が、ガスマスクの一群が飛び跳ねたりビールを振りまいたりする最中に飲み込まれそうになりながら、必死にレポートしている。
『一週間前から始まったこの宴は、当局による規制を受けてもまだ止みません。アウターワールドから『彼』がいなくなって半年、たった一人の人間の復活がこれ程願われ、そして祝われたのは、イエスが処刑されて以来ではないでしょうか』
 気の利いたコメントを吐いたレポーターはあっという間に一群に引き込まれていった。映像はもとのスタジオに戻り、キャスターは平坦な声で続ける。アウターワールドの救世主の復活を祝う声は全世界から聞こえてきます。そして映像はその他の都市の映像に切り替わる。いくつもの街と人の群れが映し出された。そこで驚喜する人々の顔には、例外なくガスマスクが被さっている。
 イジェクターの復活を祝っている……そうキャスターは言っていた。ひとしきり唖然としてから、黒瀬は視線をそらした。わからない事だらけだ。イジェクターっていうのはそんなに人気があったのか? 全世界から? 自分は今、いったい何に巻き込まれているのだろう。
 無軌道バスが信号で止まる。向かいのビルの一面が真っ青に染まり、そこに黒のスプレーで塗りつぶしたみたいにガスマスクと中指を突き立てたシルエットが現れる。その下にRespiratorと文字が現れ、イジェクターの復活を祝い、2ndアルバムが発売されるとある。
『どこに向かっているか、そろそろ教えてくれませんか?』
 隣の席にいつの間にか座っていたコーディ――座っていたとはいえ、彼女は黒瀬にしか見えないので実際には空席なのだが――が、そう尋ねた。彼女はフリルのついた黒いワンピースに、白い麦藁帽子をかぶっている。
 質問には答えず、黒瀬は声に出さずに『言った』。
「イジェクターって、なんなんだ……」
 大脳皮質にたっぷりしみこんだナノマシンとマイクロマシンが、彼の頭に浮かんだ言葉を読み取り、コーディにそれが伝わった。彼女は黒瀬の体に起こっている全ての変化を敏感に察知できるので、その言葉を額面通りに受け取らず、世間がこうしてイジェクターを祭り上げて大騒ぎしているのに戸惑っている彼の心情を素早くくみ取って言う。
「あなたが世界で一番大事なモノを想像してみてください」
 黒瀬が彼女に眼を向ける。彼女はエメラルド色のきらきらした目で言った。
「それを守ってくれる人がいたとしたら、その人をヒーローと呼びませんか」
 黒瀬はそれに、納得しているのかそうでないのか、はたまた更に困惑したのか、複雑な表情をしてから、また窓の外に眼を向けた。コーディは彼の横で、彼の横顔をじっと見つめながら、椅子から垂れ下げた足をぶらぶらと揺らした。



 さすがに顔パスというわけにはいかなかった。
 黒瀬が住む指定第9地区で最大のビルを有する企業V-tecLife社は、Play fun!12の開発元であり、今や世界に名だたる一流企業だ。その本社は地区最大の繁華街の中心部にあって、全ての道がローマに通ずるのと同じように、第9地区の主要道路は全てこの企業に続いている。四十年前の戦争以来、一定以上の高さを有するビルの屋上には、対空砲と地対空ミサイルの設置が義務づけられており、この空を覆う程巨大な本社ビルにも針山のようにそれらがいくつも設置されている。高層ビルと言うよりは、巨大な対空攻撃陣地のようだ。七棟ものビルが一群となったそのうち、頭一つ分飛び抜けて大きなビルに、黒瀬は入っていく。
 スマートなスーツ姿の役員や社員が、パーカーにトレーニングパンツ姿でロビーを行く黒瀬に奇異の目を送る。
「黒瀬才助と会いたい」
 受付嬢はあっけにとられて彼を見つめていた。
「会長に、ですか……? アポイントメントはございますでしょうか」
 彼女は警備員に軽く目配せした。いいからとにかく連絡をつけろと黒瀬は頑なに主張し、少々のごたごたの末、受付嬢はとまどいながらも宙に指を這わせる。ユビキタス機能を利用して通信しているのだろう。黒瀬には何をしているのかは見えない。
 数分後、受付嬢はいよいよわけがわからないという顔をして言った。
「お会いになるそうです……三分だけ。最上階へどうぞ」



 案内された両開きの扉を勢いよく押し開くと、空っぽの空間が眼前に広がった。体育館程度の広大な空間は、灰色一色に染まっている。硬い床をスニーカーを鳴らしながら歩く。その後を――いつの間に着替えたのか――スーツ姿にポニーテールのコーディが眼鏡ごしの目をきょろきょろさせながら続く。
「この空間、偏在情報(ユビキタス)でいっぱいです」
 彼女はそう言うと、何かを操作するみたいに軽く手を振った。途端、空っぽで無機質な空間が無数の色とりどりのウィンドウに染まった。どうやら、黒瀬の視覚野をいじくって偏在情報(ユビキタス)を視覚化したらしい。イルミネーションでいっぱいに飾り付けられたファンシーなお城のエントランスみたいだったが、ウィンドウに目を凝らすと、それは刻々と並ぶ数式の群れだったり、文字が羅列されただけの経済ニュースだったり、単調に上がったり下がったりを繰り返すグラフだったりして、堅苦しい経済情報がほとんどだった。とてもファンシーとは言えない。
 最奥部にたどり着く。灰色の空っぽな空間を睥睨するように、国家元首か裁判官が座るような居丈高な壇があって、そこに一人の男が座って、部屋中のウィンドウに目をこらしている。
「父さん」
 つぶやくように言うと、父――――V-tec Life社最大の権力者は目も向けずに言った。
「何の用だ。仕事場には二度と来るな」
 黒瀬はわずかに口ごもる。言いよどみ、視線を逸らす。
「……眞子は元気にしてる?」
 良好だ。と短く父は答えた。
「イジェクターに救出された事が余程うれしいようだ。お前にも礼を言っていた――――時間がないぞ。本題に入ったらどうだ」
 平坦な声でそう続けた父に、黒瀬は不満げに鼻を鳴らした。つばを嚥下して、乾いた喉を潤してから言った。
「俺の脳にはPlay fun!12が導入されてる」
 父はぴたりと動きを止めた。
 視線を、黒瀬へと落とす。
「俺が導入したんじゃない。もっとずっと小さい頃、記憶もないようなずっと昔に、無理矢理突っ込まれたんだ」
 父は機械じみたレンズのような目をじっと黒瀬に向けている。
「あんたがやったんだろ」
 黒瀬はどんな言葉が返ってくるか、わずかに緊張しながら待った。だが、父が次に発した言葉は「用はそれだけか」だった。子供のわがままにつきあっているような調子のその言葉に、かっと腹の底が熱くなる。
「俺の腕と足が動かなくなったのはそれが原因だろ、あんたが俺の手足を奪ったんだ! よくも今までしらばっくれやがって――――」
「お前の四肢麻痺は、医師が脊髄の先天奇形が原因だと断定した。当時の弁護士もそれを認定している」
「弁護士って……なんでんなもん用意してんだよ……!」
 わざわざ弁護士という言葉を出すという事は、訴訟に備えていたという事ではないのか。つまり、父には責められる原因に心当たりがあるという事だ。
「三分だ」
 父は手首に巻かれた時計を見て言った。冷静ぶった、眉一つ動かさない態度がかっと黒瀬の体を熱くした。
「もう一つある! 爺ちゃんの事だ」
「時間が来たと言っているんだ」
「爺ちゃんは死ぬ直前、アウターワールドにいたんだ。父さんの会社の商品だろ! それだけじゃない、今から三十年以上も前――――Play fun!12が発売されるずっと前から、爺ちゃんはアウターワールドにログインしてた」
 父はじっと黒瀬を睥睨し、それからふっと息を吐いた。
「……妄想か?」
「違うッ! うちに来た刑事がログイン記録を調べたんだ、爺ちゃんの記録がはっきり載ってた!」
「第一に我が社はプレイヤーのログイン記録など一々記録していないし、第二に刑事が自分の捜査資料をひけらかしたりなどするはずがない。第三に、お前の祖父がアウターワールドをプレイしていたとしても、何の不思議もない。最近はたたなくなった高齢者が仮想交配(アダルトプレイ)するのが、流行っているらしいしな」
 目の奥でちりちりと火花を散らしていた何かが、父の抑揚を押さえたのあざけりの言葉で、一気に炸裂した。激情が理性を焼き払い、焼けるような言葉が喉から吹き出る。
「なんだよその言い方ッ!? お前の父親だろ!!」
 さらに言いつのろうとする黒瀬に、父は壇に拳を叩きつけて応えた。
 いいか、よく聞け。
「次に言いがかりをつけに来る時は証拠を持ってこい。お前の脳からPlay fun!12を引きずり出して持ってくるといい。できるならな」
 警備員! と彼が部屋の外へ声をかけると、体格の良い二人の男がつかつかと歩み寄ってきた。拳銃を持っている事を示すように腰の裏に手を当てている。それを背に感じながら、黒瀬はぎゅっと奥歯をかみしめて、自分を睥睨する父を睨付けていた。
「何か知ってるんだな、爺ちゃんが死んだ原因――――」
 父は睥睨していた。
 何も、応えない。




 ビルを出て、整然と整理されたロータリーを抜けて繁華街を歩いていると、酷い無気力感に襲われた。ぐずぐずになった怒りの熱が、黒瀬の肩を怒らせ、くすぶった怒りの声を吐く。
「あいつ、絶対何か知ってるんだ。知ってるのに隠してるんだ、何を隠してる……!?」
「……よかったですね」
 再びワンピース姿になって後ろを歩いていたコーディが、横に歩み出ながら言った。黒瀬は低い声で言う。
「何が良いんだよ」
「妹さんです。元気になったみたいで」
 言われて、初めて思い出した。眞子の経過は良好だと父は言っていた。気持ちは沈んでいるが、その朗報は素直に喜べると思う。黒瀬はコーディに目を向ける。隣を歩く彼女は、ポニーテールにしてこめかみに垂らした髪を揺らしながら、前を見据えて歩いている。まさか、と思った。まさか、こいつ、俺を励まそうとした……?
「…………」
 一息はいて、怒りの熱をなんとか押さえ込んだ。
 そうだな、そう応えると、コーディは金色に輝く瞳を向けて言った。
「イジェクターに助けられたの、喜んでくれたんですね」
 なんと応えたものかわからず、黒瀬は黙り込んだ。返事は必要とされていないみたいだった。毒気を抜かれてしまった。ぼんやりと、空に眼を向けて思う。
「(そういえば、誰かを助けて感謝されたのなんて初めてだ……)」
「黒瀬、完爾君!!」
 不意にそんな声がかけられた。立ち止まって声の方を見ると、妙に体格の厳つい、ひげ面の男が立っていた。うさんくさい笑みを浮かべて、これ見よがしに手にした手のひら大のカメラで突然フラッシュをたく。それに目を細めて顔を覆った黒瀬は、思わず「おい!」怒鳴った。
「おや? 失礼失礼。最近の子はこんな旧式のカメラを見ると喜んで撮って撮ってとせがむものだから、ついそういう気分でシャッターを切ってしまった」
 黒瀬がじっと睨付けると、頭をかきながら、しかし悪びれる風もなく男は歩み寄ってきた。ネクタイもせずによれよれのスーツに身を包み、シャツのボタンもまともに閉めていない。太い顎には無精髭がびっしり生えていて、まるで文明人ぶってる野人だ。これ見よがしにいかついレトロカメラを手にしている。
「誰だよお前」
「フリーライターっていう不安定職業をやっていてね。友人は俺をアーヴィングと呼ぶ。俺はジョー・ブラッドレーと呼んでくれと言ってるんだがね。是非、ジョーと呼んで欲しい」
 突然まくし立てる男に、黒瀬は鼻白む。何言ってるんだ、こいつ……
「あぁ、そんな顔をせずに。いやぁ、知らないかな、ジョー・ブラッドレー。これでも昔はワールドファイトクラブってゲームでチャンピオンやってたんだ。ま、結局アウターホリックにかかってやめてしまったがね。この間の彼女みたいに、『彼』にイジェクトされたのさ」
 イジェクト、と言われて黒瀬は目を細めた。警戒心が芽生え、無視してさっさと歩き出す。コーディは黒瀬と記者――ジョー・ブラッドレー?――を見比べてから、黒瀬の背にさっとついた。
「まぁまぁそう急がずに!」
 ジョーはコーディのいる位置に割り込んできて、彼女はむっとわずかに表情を歪めて目をぎらぎらと輝かせた。
「なんだよ、お前。どっかにいけ」
「なに、少し時間をいただくだけだから。こう見えてもセルネットで連載記事書いてるんだ。『ネットの闇、アウターワールドのサーバーを追え!』ってこういう具合でね、知ってるだろ、この噂」
 セルネット。以前はネットと呼ばれていた存在は、今や小さなコミューンが無数に点在する細胞網(セルネツト)という認識へ変わった。もっとも、ネットは黒瀬には縁遠い存在で、情報社会の授業で見聞きした程度の知識しかない。
「サーバー? 知らない。どっかにいけ」
「知らない? それって、全く知らないって事? 驚いたな、今時そんな子がいるなんて」
 馬鹿にされたのだろうか、黒瀬はむっとする。ジョーは人差し指を立ててみせる。
「アウターワールドの創成期からある都市伝説の一つだよ。アウターワールドの中枢に当たる、全世界二十四億人のプレイヤーデータを処理する情報処理機器(サーバー)。その膨大な情報量を維持するためには、試算するに、広大な敷地と施設が必要になるはずなんだ。それこそ、この国の国土全てを覆ってしまうくらいの」
 無視して歩き出した黒瀬に、ジョーは食い下がる。
「だが君も知っての通り、そんな施設はどこにも存在しない。でも現にアウターワールドは運営されている。なぜだ? どうやってこれだけの情報を納め、処理している? 一体誰が、それだけの施設を管理し、維持できるって言うんだ?」
「そういう質問なら」黒瀬は不機嫌につぶやいた。「あそこに行って聞けよ」彼が指さしたのは、V-tecLife社だった。そびえ立つその帝国の尖塔をまぶしそうに見つめて、ジョーは笑う。
「無理さ。V-tecLife社は40年前のアジア大戦で活躍した民間軍事会社(PMC)――――『ミコト・セキュリティ』社に出自があってね、軍関係だけあって超秘密主義で有名なのさ。あまり探りすぎると命をなくすとか……ま、半分冗談だと思うがね」
 唐突に、コーディが黒瀬の手を取った。ぐいと脇道に引き寄せられ、何事かと目を向ける。
「アウターホリックです」
 思わず聞き返した。何?
「アウターホリックの発症を関知しました。死亡まで残り52分。無軌道バスを呼んだので、すぐにこの場を離れてください」
 「なんで俺が」と言いかけて、ふとコーディの言葉を思い出した。祖父はイジェクターとして、アウターホリッカーを助けて回っていた、と――――まさか、この間の眞子にしたみたいな事を、またやらなきゃいけないのか? 冗談じゃない。あんな事、そうそう何度もできるものか。だいたい、戸籍上だけの関係とはいえ一応家族である眞子ならまだしも、なぜまったく見ず知らずの人間を助けてやらなくてはいけないのか。
「義務を果たさないと、あなたは排出者(イジェクター)を解任されますよ」
 ぐい、と見た目の女の子らしからぬ力で、彼女はいきなり黒瀬を脇道へ引きずり込んだ。素っ転びそうになりながら彼女の後に続く。
「あっ――ちょっと待てってば!」
「そうなれば私は存在意義(レゾナンスリビティ)を失って消失し、私のコントロールを失ったあなたの脳は機能分裂を起こすんです。――死ぬって事ですよ」
 最後の一言は振り返った彼女のじろりとした目つきがおまけでついてきていた。そんな事言ったって、と黒瀬は一瞬たじろぐ。彼女は有無を言わさずぐいぐい手を引っ張り、結局黒瀬は、舌打ちをして彼女の後を駆けだした。進む先に、無軌道バスがのっそりと姿を現す。
「あぁ、逃げないでくれよ、ほんの少し聞きたいだけなんだから」
 黒瀬の後を追っていたジョーが、野太い声をあげる。
「俺に聞いたって何も知るはずがないだろ、どっかに失せろ」
「それはどうかな」
 しつこく食い下がってくるジョーに、黒瀬はいらだちを隠さずにうなるように息を吐いた。その頃には無軌道バスがもう視界に入っている。
 ジョーが、不意に立ち止まった。
「君が排出者(イジェクター)だってタレコミがあったんだ」
 バスの乗車口にとりついた黒瀬が振り返る。
 ジョーはうさんくさい笑みを顔に貼り付けたままだ。
「――――今日は挨拶に来たんだ。何か思い出したら、教えてくれ。もちろん、若人らしい青臭い人生相談だってうけつけるよ」
 無軌道バスが黒瀬の前に止まる。黒瀬は視線を外さない。ジョーはさっきまでの胡散臭い笑みではなく、本心から出たらしい、皮肉っぽい、乾いた笑みを浮かべていた。
「……そのデマ、どこで聞いたんだ」
「デマ?」
「俺がイジェクターとかいう」
「W.makerって奴だよ。メールを一本よこしたんだ。知り合いかな」
 黒瀬は返事をせず、彼から視線をそらして無軌道バスに乗り込んだ。ジョーはスーツのポケットに手を突っ込むと背を向けて去っていく。若い女に譲られた障害者用の優先席に座りながら、黒瀬はその背を見送った。
 W.maker……?
 そいつはどうして、自分がイジェクターになったのを知っているんだ?
 ジョーが口から出任せを言った可能性も否定できないが、いずれにせよ誰かが自分の秘密をかぎつけた事になる。麻戸刑事の件があるので、自分の身に降りかかったイジェクターという事態について口外するべきじゃないと思っていたが……誰が、どうやって、この秘密を知ったんだ?
『イジェクター』
 正面からの声に顔を上げると、初めて会った時と同じ、トレンチコートにプリーツスカート、でかいヘッドホンを首にかけて、髑髏を胸の前に垂らしたコーディが、半透明で宙に浮かんでいた。彼女はすっと黒瀬に指を向けた。
「あ、ちょっと待てよ! 俺は――――」
 問答無用だった。
 コーディは目の色を煌めくエメラルド色に変えて、人差し指を黒瀬の額に差し出した。
『インサート』
 意識が吹き飛ぶ。







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