「――――大丈夫かい!? 黒瀬君――――黒瀬君!」
電気ショックを与えられたような衝撃と共に、黒瀬はファミレスへ舞い戻っていた。震える息で、体と、今見た光景への衝撃に打ち震える。大声を張り上げていたジョーは周囲の目を気にしながらも彼の体をいたわるようにさする。
「驚いたよ、突然痙攣して、叫び出すから――やっぱり見せるべきじゃなかった……。けど、これでわかったと思う。フォース22が頓挫した理由、そして、アウターワールドがいまだ抱えている致命的な欠陥とは、君のお爺さんの事だったんだ。君のお爺さんはSADとして実験に深く関わった果てに、現実と空想の区別が――――」
ジョーの言葉は、突如胸ぐらを掴み上げた黒瀬の腕によって遮られた。「うわ」と慌てふためくジョーに、黒瀬は怒鳴った。
「麻戸刑事だ!」
「え――?」
「麻戸だったんだ――――あそこに麻戸がいた、俺の姿はあいつだった!!」
ジョーは唖然としていたが、首を振って「そんなはずない」と驚いた様子で言った。
「あの共感映像を記録したのはフォース22計画の最も中枢にいた、主任研究員のはずだ。麻戸って奴は刑事だろ? そんな場所にいるはずがない」
ジョーはゆるんだ黒瀬の手から逃れると、周囲の目を気にしながらシートに座り直すと、ユビキタス機能で呼び出したタスクウィンドウに手を伸ばす。
「ここにその主任研究員の名前が書いてある。君も聞き覚えがある人物の名だ」
ジョーが差しだしたウィンドウは、何かの研究レポートのようだった。国際共通語で書かれた文章は難解極まり、まるで読める気がしない。だがジョーが引いたと思しき赤いラインがレポート紙面の上端にあり、黒瀬の視線は自然とそちらへ向いた。あっと声を上げそうになった。思わず立ち上がる。書類の上端、共同研究員の名が連なったその一番上に、一際大きく書かれた名――引かれた赤いラインの上には、国際共通語でこう書かれている。
AMATA Haru
「なんだよこれ……!? これ、コーディの――」
「主任研究員はアマタ ハル。法外(イリーガル)な方法でサーバーの問題を解決したのも彼だ」
「でも……でも見たんだ! あれは麻戸だった――間違いないんだ!」
ジョーはわけわからないとばかりの表情をしていたが、突然ふっと表情を改めた。一つ生唾を飲み込み、まさか、とかすれた声を漏らす。
「まさか……麻戸刑事とアマタは――――まて、だとしたらコーディは……彼女は麻戸の」
窓ガラスが割れた。
突然の出来事だった。ジョーの言葉を身を乗り出して聞いていた黒瀬の傍らで、すぐ右隣にあった窓がぱんっという音と共に放射状にひびが入ったのだ。思わずびくついてしまった。見ると、窓に入った放射状のひびの中央に小さな穴が開いている。なんだ、これ。呆然としてしまった黒瀬は、ジョーに目をやった。彼はなぜか、ソファーに横になっていた。口を半開きにしているのが見えた。なにやってんだ、こいつ。
鋭い悲鳴が上がった。
バックヤードから出てきた店員が上げた金切り声だった。彼女はこちらを指さして驚愕に目を見開いている。思わず顔に手をやった。なんだ? すると、ぬるりとした感触が手について、見ると、真っ赤な鮮血がべったりと手のひらにへばりついていた。心臓が一瞬、高鳴る。
ジョーに目をやる
額にあいた小さな穴から、大量の血と、脳の欠片がこぼれだしていた。
次の瞬間、窓ガラスが割れる鋭い音が次々黒瀬に襲いかかった。
思わず片腕で体を守ろうとする黒瀬の眼前に、ガラスの破片が飛んでくる。放射状のひびはガラスを覆い尽くし、ついには粉砕されてばらばらになって床に滑り落ちた。その向こうから、全身を真っ黒なライダースーツに身を包み、フルフェイスヘルメットをかぶった男が、まっすぐに拳銃を構えてこちらに歩いてくるのが見えた。
ころされる
とっさにそうわかった。だが、体は硬直して動かない。動け! 逃げろ! 早く!! だがあまりの出来事に意識も体もついてこない。愕然とするしかない。
「伏せなさいッ!」
次の瞬間、背後からいきなり炸裂音がした。思わず身をすくめて後ろを見ると、コートを揺らした体格の良い老人が拳銃を発砲しながら迫ってくる所だった。凄まじい速さで肉薄した彼にいきなり覆い被され、前のめりに倒れこむ。鼻を強か打ち付けてしまう。
「立ってッ! 走るんです、早くッ!!」
肩をぐいと引き上げられ、引きずられるように出口へ連れて行かれる。老人は拳銃を乱射しながら、フルフェイスの男を牽制する。男も素早い身のこなしでファミレスの外壁に張り付くと、応射し返してきた。悲鳴を上げていた店員が、頭から血を吹き出してもんどり打って倒れるのが見えた。
「車に乗って、早く!!」
老人に押し込められて、助手席に放り込まれた。続けて運転席に着いた老人は凄まじい速さでギアチェンジするとアクセルを一気に踏み込んだ。車は急加速し、黒瀬はシートに打ち付けられる。
「ダッシュボードに銃が入っています! 応戦するんです!!」
老人が引き出しを指し示す。わけがわからず黒瀬は老人に声を荒げる。
「あんた誰だよ!!」
だがそこまで言って黒瀬ははっと言葉に詰まった。見覚えがある顔だった。ロウで固めたようなシワだらけの顔、老眼鏡じみた金縁の眼鏡。一ヶ月程前の記憶がフラッシュバックするように蘇った。祖父の仏間の前で、神妙に語るこの男の姿――――
「麻戸刑事――――!? なんでお前がここに」
次の瞬間、着弾音と共にフロントガラスに放射状のひびが入って、破片が黒瀬達を襲った。
「話は後です!!」
ハンドルを思いっきり切って、麻戸は怒鳴った。黒瀬の体が遠心力で引きずられる。窓の外では、車を避けようとしたバスが歩道に突っ込んで悲鳴が上がっている。シートの中でもみくちゃにされながら、ダッシュボードの収納スペースから黒金の塊が転がり落ちてくるのが見えた。足下に転がったそれが、黒瀬の靴にごつごつと当たっている。二の腕程の大きさの、ボックス型のサブマシンガンだ。「拾って!」叫んだ麻戸のすぐ脇で窓にひびが入った。車のほんのすぐ横に、ジョーを射殺したフルフェイスの男がバイクで併走していた。
「早くッ!」
目の前の現実を受け止めきれなくなってただ見つめるしかできなかった黒瀬は、鋭いその声に押されて、足下の銃を拾った。だが、それからどうすればいいのか、わからない。アウターワールドでは息をするように出てきた銃の扱い方がまるでわからなかった。それも片腕だ。お守りのようにグリップを握りしめている事しかできない。
麻戸は一瞬だけその様子を確認すると、即座にハンドルをフルフェイスの男の方へ振った。バイクはとっさに車体を傾けて車の体当たりを避ける。麻戸はそのまま真逆にハンドルを切ってバイクを引きはがし、フルフェイスの男はたくみにバイクをその後ろにつけた。
「渡して!」
麻戸の太くて分厚い手が黒瀬の持ったサブマシンをわしづかみにした。
「ハンドルを握るんです!!」
突然そんな事を言われても――
「早く!!」
必死にハンドルを握った。猛足の車は手綱を振り切ろうとする馬のように暴れ狂うが、それを全身の力を使って押しとどめる。麻戸は後席に身を乗り出してサブマシンガンを両手に構えると、いきなり発砲した。
後頭部で炸裂する弾丸の発砲音に黒瀬は怯えきっていた。現実の世界のそれと、アウターワールドのそれはまるで違う。加工されていない、剥き出しの暴力の音に体が震え上がる。
きっとそれはほんの一瞬の事だったと思う。だがハンドルを握っていた時間は、黒瀬にとって一時間にも二時間にも感じられた。ようやく麻戸が席に戻ってハンドルを返した時、黒瀬は全身がびっしょりと汗で濡れているのに気がついた。
「I got it(殺つた)」
麻戸がそう言って、弾切れになったサブマシンガンのボルトを破壊して、窓の外に投げ捨てた。
「状況がここまでよじれるとは、奴らも相当焦っているようだ」
ハンドルを握りながら、麻戸はそう言った。車の速度は一般的な巡航速度に落ちている。助手席に腰掛けて、前のめりになった黒瀬は、どうしても収まらない荒い息に苦しんでいた。どうぞ、と麻戸が何かを差しだした。蓋を開けた缶コーヒーだった。今この状況で、こんな物が出てくる事自体が、酷く牧歌的でアンバランスだと思った。
「多めに飲んでください。落ち着くはずです」
彼の言った通りだった。甘い物が喉を通ると、荒くなった息も次第に落ち着いていった。
「……何なんだよ、何なんだよ、ジョーが――どうして殺されなきゃいけないんだ」
「V-tecLife社の報復・特殊工作部隊(SAD)です。社の秘密を守るために殺害したのでしょう。彼らも一枚板ではない。社の一部が暴走して、やっきになって殺害した」
あんな銃撃戦の後なのに、麻戸は全く平静な声でそう言った。
「V-tecLife社は前身のミコト・セキュリティサービスの軍事的側面を引き継いだままです。あのフリーライターは優秀でしたが、サーバーの秘密を知ったのはやり過ぎでした。結果的に彼らを刺激しすぎてしまった。秘密を守るためなら、奴らは何だってする」
唇を噛む彼を見つめる。
「……お前、誰なんだ」
赤信号にぶつかって、車が停止した。反対車線を、パトカーが駆け抜けていく。横断歩道を行こうとした人々がそれを物珍しそうに見送った。さっきの銃撃戦の通報で向かったのだろう。サイレンの音が遠ざかり、人々が再び歩き出した時、麻戸は小さなため息混じりに言った。
「……私の名前は晴。天田 晴」
思いも寄らぬ言葉に、黒瀬は彼に顔を向けた。見開かれた目を見て、麻戸は言葉を重ねた。
「すみません。あなたの事をずっと監視していました。あのフリーライターから、私の正体はもう耳にしたようですね」
彼は自嘲気味にそうつぶやいた。
「そう、私はPlay fun!12の開発に中枢的役割を果たした張本人。ランドウォーリア計画をミコト・セキュリティサービスで推し進めた技術者の一人です」
思わず、弾かれたように麻戸――いや――天田の胸ぐらにつかみかかった。
「お前――!! お前は何をやったんだよ!? 教えろ! アウターワールドは、爺さんは、鴉隊(SAD)は――――コーディはなんなんだ!? どうしてこんな事になったんだ!」
天田は能面のように表情を変えなかった。やはり、あなたと一緒にいたんですね。そう言った。黒瀬は困惑する。こいつ、事態の中心にいたんじゃなかったのか? まるで蚊帳の外にいたかのような事を言う。
「この事態を引き起こしたのは私じゃない。確かに私は種をまいた。恐ろしい悪魔が生まれる種を。種は成長し、今この世界を飲み込もうとしている。この事態を招いたのは私です。ですが……事態を引き起こしているのは私ではありません」
「お前、ふざけてるのか……!? 知ってる事話せよ、全部!!」
胸ぐらを握る力を強める。「話しましょう、全て。ようやくその時が来た」その手に、麻戸は太く節くれ立った手を重ねた。彼のつり上がった目は、力を失って、全てをあきらめてしまったような、悲しい光を宿していて、黒瀬は思わず、握る手をゆるめた。
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