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空気を叩く音がする。
断続的に、リズミカルに繰り返される――分厚い音の層が頭上を支配している。
音に合わせて、体が激しく、不躾に揺らされ、ぐらんぐらんと右へ左へ傾く。腰を下ろしている硬い椅子が、尾てい骨を叩いて、痛い。
軍曹:「起きろ新入り(プライベート)!」
眠っていた意識が、肩をわしづかみにされる感触と、乱暴に揺らされる衝撃で目を覚ます。閉じていた瞼を開けると、太い顎をした白人の男が自分を揺らしていた。角張ったフリッツヘルメットにゴーグルをかけたその顔は、煤で汚れてしまっていて、その大きく見開かれた目は、酷く疲れ切った色に染まり、荒んでいた。男の体に視線を落とす。灰色や黒、濃紺のまだら模様の施された都市迷彩服。弾倉やグレネードが押し込まれたベストに、硬く締め付けられた黒いブーツ。彼が手にしているライフルを見て、ようやくわかった――――兵士だ。
軍曹:「すぐに降下地点だ! 目を覚ませ、戦争が始まるぞ!!」
男は大口を開けて凄まじい声で怒鳴った。彼が話しているのは国際共通語(ユニコード)で、知識のない黒瀬には全く聞き取れない。しかしそれでも男が何を言っているのか分かったのは、なぜか視界の下部に表示される白い『字幕』のおかげだった。
そこでようやく意識がはっきりした。コーディにゲーム世界に放り込まれたのを思い出す。彼女の姿を探して、辺りに目をやった。
最初、何か――――軍用のジープか何かに乗せられているのだと思った。鉄がむき出しの座椅子が対面式で二列並び、そこに兵士達が尻を納めていた。酷い揺れに、彼らは手すりやつり下げられたワイヤーに捕まってなんとか姿勢を保っている。皆、アサルトライフルを腹に抱えて、不安そうに窓の外へ目をやっていた。黒瀬も眼を向ける。すると、窓際に立っていた男が、何の躊躇もなく、いきなりサイドの扉を押し開いた。スライド式の扉は勢いよく滑る。
開いた先に現れたのは、暗闇に染まったはるか彼方の地上の街と、そこにべったりと広がったのたくる炎の光、それに、もうもうと立ち上る真っ黒な煙だった。眼下に広がるミニチュアの街は電飾の明かり(イルミネーション)を失い闇に染まり、いくつも建ち並んでいる見栄と無駄の権化みたいなビルが、爆発と炎上にまみれている。そのうちのいくつかはまるでトーチのようにどす黒く不気味な紅い炎を点していて、石油製品を焼いたような、刺激の強い異様な匂いが漂ってきて、思わずむせる。機体の揺れと合わせて、吐きそうだった。あちこちで限りなく白に近いオレンジのフラッシュが散発的に焚かれている。その度に腹に響く、重々しい炸裂音がした。
まぎれもない、ここは戦場(ウォーゾーン)だった
足下がおぼつかない、この揺れ方はつまり、自分が宙に浮いているからだとそこでようやく理解できた。浮遊感が全身を包んでいる。断続的に響く空気を叩く音から察するに、どうやらヘリに乗っているようだった。視線を運転席に向けると、そこでは真っ暗な空に目を凝らす二人のパイロットの姿があった。彼らの一人が振り返り、人差し指を立てる。
軍曹:「あと一分(ワンミニツツ)!」
軍曹が怒鳴る。何かとんでもない事に巻き込まれている気がするが、機体の凄まじい揺れのせいで上手く思考がまとまらない。ゲームとは思えない、凄まじいリアリティが、辺りを取り囲んでいる――――
『本ゲームのクリア条件は"敵部隊の敗北"です』
突然、コーディの声がした。懐かしい日本語だ。見ると、士官服にコートを羽織った彼女が、ヘッドアップディスプレイを表示する片目用のゴーグルをかけて、窓の外に目をやっていた。彼女がつい、と指を振ると、黒瀬の前にコバルトブルーの立体映像(フォログラム)マップが現れる。巨大なビル群の群れの中央、一際高いビルの上層部に、赤い点が点滅している。
『アウターホリッカーの所属する軍を倒してください。現在この部隊はビル突入を主任務としています。ビルへの強襲が始まると同時に司令部へ突入し、敵軍の司令官を排除してください。敵軍は敗北し、自動的にアウターホリッカーも排出(イジェクト)されます』
「お前――!」
屋敷でのやりとりを思い出し、何か言おうと思った。だが、振り返った彼女が向けた目が、酷く冷たい濃紺なのを見て、思いは急速に萎えてしまった。アウターワールドでの彼女は自分の言葉に応えない。そんな気がした。
「……終ったら話があるからな!」
ヘリのローターが回る音が凄まじく、怒鳴っても彼女に伝わっているかどうか疑わしい。彼女はじっと、黒瀬を見下ろしているばかりだった。かぶった真っ赤なベレー帽に押さえられた、緩くウェーブのかかった胸まである髪が、外からの風に激しく揺れている。
軍曹:「新入り(プライベート)! ケツをあげろ! 左の機銃(ミニガン)を担当するんだ」
彼女を見つめていた黒瀬の肩を、軍曹が乱暴にわしづかみにして怒鳴った。有無を言わさぬ調子だった。押しやられるように、ヘリの扉口に設置された一抱えもあるような機関銃の前に立たされる。
黒金の銃身がいくつも連なって一束にされた、巨大な機関銃だった。
どこか『ミニ』ガンだよと思う。両手で握るためのグリップが銃身の根本にあるボックスから飛び出していて、黒瀬は急かされるままにそれを握った。親指に当たる部分にスイッチがある。グリップを使って梃子(てこ)の原理で動かすのだが、それでも凄まじい重さだった。銃口に死体でもつり下げてるんじゃないかと思う。
軍曹:「海兵隊諸君(marines!!)、これは生還の確立は極めて低い強行軍だ!」
抱え込んだミニガンと、眼下のどす黒い戦火の光を見比べ、目を凝らしていた黒瀬の背後で、軍曹が太い顎に筋を浮かせながら雷轟のように重々しく叫んだ。
軍曹:「同胞の首都を占領した薄汚い弁髪野郎共(チヤイニーズ)は豊富な補給線を確保し、強固な防衛陣を敷いている! いいかッ!? かつての首都はいまや平穏無事な電子の街じゃない、重兵器と大量の対空兵器で武装した戦闘都市だ!! 我々の強襲目標である敵司令部はその中央、最も強固に武装された対空攻撃陣地(SAMサイト)ビルにある! 高速輸送ヘリ(ペイブロウ)でそこに突入する我々は、飢えた狼の群れに裸で飛び込む大馬鹿者だッ!! どうだ怖いか!?」
途端、一斉に兵士達が鬨の声を張り上げた。空気をびりびりと振るわせる力強い怒声。怖(Ser)くなどありません(NO! ser!!)ッ!
軍曹:「見ろ!! あの戦火の中で、日防軍(JDF)は必死の抵抗を続けているッ! 我々は決して同胞を見捨てはしない! 一人でも仲間が戦地にいるのなら、我々は最後の一兵になるまで戦い続ける!! 逃げ出したいか(retreat!?)!?」
退路など無い(HELL)!! 兵士達は自らを鼓舞するように怒声を重ねた。
無線:『こちら海軍所属の"雷鎚(トール)06"』
兵士達の怒声とプロペラの轟音で耳がキンとしていた黒瀬は、無線の割れた音に思わず顔をしかめた。耳の中に詰めるタイプのイヤフォンが、努めて冷静な声で告げる。
無線(雷鎚06):『敵司令部への突入を目標とする大馬鹿者がいると聞いて来た。作戦地帯上空の制空権奪取を試みると同時に君たちを援護する。"あいさつ"をするぞ』
直後、燃えさかる業火の音と熱風が、ヘリのすぐ上を一瞬で通り過ぎていった。ほんのわずかな時間だったが、通過した物体の翼竜のような巨大な影と、それが吹き下ろしていったジェット噴射の爆音は、濃密な衝撃の残滓となって黒瀬の身体を痺れあげさせる。「戦闘機(ファイター)だ!」背後の兵士が、子供のような声をあげて扉の外に身を乗り出した。戦火に紅く染まる黒煙立ちこめる空に、ジョット機の熱い後流が残した陽炎の軌跡が、一直線に描かれている。その先に、鋭角な三角形(デルタ)状のいくつもの機影が、滑るように弧をかいて飛んでいるのが見えた。その後を追うように、真っ白な閃光が炸裂している。対空砲かミサイルか何かが、爆発しているようだった。
パイロット:『日防軍(JDF)の特殊部隊(タスクフォース)が合流する』
コクピットでパイロットが西の空を指した。指の先を追って外に目を向けると、数機のヘリコプターの群れが左舷下方から舞い上がってくる所だった。
横並びについた濃緑の輸送ヘリのサイドドアがスライドして、中から扉を押し開けて兵士が現れた。豊かな髭をたくわえ、サングラスをかけた兵士は、ライフルを首にかけて、癖の強い髪を流れる風に揺らしている。こちらに目を向けると、じっとサングラス越しの目を向けて、敬礼した。
日防軍空挺部隊:『こちら"ながれ03"。誇りある海兵隊諸君の支援に感謝する。だが状況は圧倒的に我々に不利だ。敵は司令部に"中毒者(ホリツカー)"を所持している。繰り返す。敵は司令部に"戦争中毒者(ウォーホリツカー)"を所持』
黒瀬の背後で、兵士達が息をのんだのが分かった。
その雰囲気の一変で、黒瀬にも何が起こったのかわかった。このゲーム(世界)で"戦争中毒者(ウォーホリッカー)"と呼ばれる存在は、現実世界ならおそらく――――外側中毒者(アウターホリツカー)と呼ばれる存在をさすのだ。
兵士(プレイヤー)達は、しばしゲームの役割(ロールプレイ)を忘れて顔をつきあわせて囁き合う。戦争中毒者(ウォーホリツカー)? このゲームに? 冗談だろ、本当に死人がでちまうぞ! 司令部にいるのかよ勝てるはずがないわけだ―― 残り時間は何分なんだ?
軍曹:「そのおしゃべりな口を閉じろ!」
扉口を硬い拳が殴りつける大きな音がした。振り返った軍曹が硬い表情に真剣さを滲ませて怒鳴る。
軍曹:「何があろうと我々がやるべき事は決まってるッ 敵を倒せ、さもなくば本当に死人が出る!! それだけだ! そうだな"ながれ03"?」
日防軍空挺部隊:『同感だ海兵隊諸君(マリーンズ)。この戦いには現実に人命がかかっている。我々は勝つしかないんだ』
軍曹:「了解だ"ながれ03"! ファンには悪いが今回は排出者(イジェクター)の出番はナシだ。人命を救うのは我々だからな。そうだな!?」
黒瀬はぎょっとしたが、周りの兵士達はわっと歓声を上げた。やる気と覚悟に満ちた表情で、軍曹の怒声に怒声で応える。無線の向こうかすかな笑い声がした。
日防軍空挺部隊:『盟友に感謝を。常に忠誠を(センパイアーファイ)』
軍曹:「常に忠誠を(センパイアーファイ)! 日防軍諸君(JDF)」
黒瀬の背後で軍曹が返礼を返す。状況が許す限りの手短な挨拶だったが、互いの信頼と士気は高いようだった。
兵士:「おい、ありゃなんだ?」
だがその時
黒瀬の隣にいた兵士が、ふいに窓の外を指す。
指の先では、眼下の街で上がる小さな真っ白い花火のような光が、空に軌跡を描きながら上がっている所だった。
なんだ、あれ? 黒瀬がミニガン越しにその光に目を凝らしていると、突然弾かれたように軍曹が身を乗り出し、はっとした。大口を開ける。
軍曹:「地対空ミサイル(スティンガー)だ!!」
パイロットがとっさに振り返り、「Dammit(クソツ)」と毒づきながら慌てて操縦桿を体ごと抱えて押し倒す。機体は一気に傾いて、遠心分離機にかけられたような凄まじい力が黒瀬達にかかった遠心力に振り回され、扉口から吹き飛ばされそうなる軍曹が、横を併走する"ながれ03"に激しく腕を振り
軍曹:「03! 回避しろおおおお!!!!」
外の景色が一瞬で右から左へ流れる。その最中、向かいで併走していた"ながれ03"の兵士が、慌てて振り返ったのが見えたが、その次の瞬間、衝撃と炸裂音と共に、彼らのヘリのテールローターが爆発して吹き飛ぶのが見えた。
兵士達の怒号が上がり、窓のすぐ横でくぐもった爆発音と激しいオレンジの閃光が上がった。
金属が引き裂かれる女の悲痛な叫びのような音が響き渡る。衝撃波と熱風が機体にのめり込んできて、思わず息が詰まる。
軍曹:「ゼロ・スリィィィィイイイイ!! ――くそッ、"ながれ03"がやられたッ!」
窓の外で、真っ赤な火の固まりとなった"ながれ03"が、ぐるぐると回転しながら眼下の街に吸い込まれていった。炎にまみれてもがきながら落ちていく兵士の姿が、はっきり見えた。思わず、震える。
兵士:「また来るぞ!」
悲鳴のような声が兵士達の間で上がった。地上からは先ほどと同じ真っ白な閃光が、軌跡を描きながら凄まじい数で空に昇っている。「数が多すぎる!」誰かが叫んだ。黒瀬自身の声だったかも知れない。だがそれを確かめる間もなく、獲物に襲いかかる蛇のように蛇行したミサイルが、次々とヘリの集団の中に飛び込んできた。
今見たばかりの光景がフラッシュバックする。
燃え上がったヘリが地上に吸い込まれる姿
炎に包まれたもがき苦しむ兵士
迫り来る白い閃光の軌跡一つ一つが、あの惨状を生み出したのだ。そしてその切っ先は、今や自分たちに向けられている。死神の冷たい手に、心臓をわしづかみにされたようだった。息が詰まる。兵士達の悲鳴が背後で上がり、軍曹が目を血走らせて毒づく。
『オーバークロックを』
凄まじい遠心力と衝撃にもはや抵抗する事も出来ず必死に耐えていた黒瀬の傍らで、突然現れたコーディが叫んだ。
『はやく!』
はっとした。そうだ、この世界では、絶望的な状況を打開できるのは自分しかいない。恐怖している暇も諦める余裕もない。この世界では、いつまで待っても救いの手などさしのべられない。
自分がやるしかないのだ。
歯を食いしばり、身体を引き裂いてしまいそうな遠心力に抵抗する。
腰を上げ、機銃(ミニガン)をひっつかんだ。
「オーバー、クロック」
のたくる真っ白な閃光がすぐそこまで迫っている。今まさに自分の乗るこの機体へ襲いかからんという時、黒瀬のつぶやきが世界(ゲームワールド)の力学運動に支配の手を伸ばした。
世界を手中に収める感覚
時間がどろりと、濃密になる
全てがゆっくりとコマ送りのように進む。すぐ目前に迫ったミサイルへ、黒瀬は機銃(ミニガン)を向ける。ミサイルの先端に取り付けられた一つ目のカメラが、焦点を合わせる瞳のように蠢くのがはっきりと見えた。その目へ向けて、ミニガンの発射スイッチを引き絞る。
胸を叩きつけるような衝撃
手中で暴れ狂う射撃の反動を押さえつける。銃口から真っ赤な炎が吹き出した。炎はいくつもの固まりとなって連なり、肉薄するミサイルに襲いかかる。金属が金属を突き破る音がする。雨だれがトタンの屋根を叩く音が、数千倍になったような音――――ミサイルのカメラが吹き飛ぶ。胴体を穴だらけにし、安定翼が次々とはがれ落ちる。軌道が乱れ、左右に震えて蛇行する。そしてついに空中で蹴つまづいたように縦に一回転、ジェット噴射が暴走して凄まじい速さで回転する。
爆発閃光、オレンジの衝撃波
オーバークロックの濃密な時間ですらも捉えきれない程の一瞬の出来事だった。ミサイルは内側から爆発すると黒煙と真っ赤な炎の塊を吹き出した。熱風と機体(ヘリ)を揺らす程の衝撃波。後続のミサイルがその爆炎に突っ込み、誘爆する。真っ白な閃光、衝撃、そして花開く紅い炎――――何度となく繰り返され、黒瀬の聴覚と視覚が痺れ上がる。
そして濃密な時間は終わりを告げる。
時が急速に動き出し、黒瀬の身体は世界に放り出される。
辺りが炎の光と熱、鉄の焼ける匂いに、黒煙、そして吹き飛ぶような衝撃に包まれた。黒瀬はミニガンから投げ出されて肩をしたたか打ち付ける。窓の外で、真っ赤な固まりになったいくつものヘリが、暗闇に包まれた空にもがくように回転しては消えていった。くそ、と黒瀬は内心毒づいた。撃墜できたミサイルは、自分たちに向かってきたミサイルだけだ。
パイロット:「チーム・グリフィスとブラックキャットの部隊がぶっとんだ!」
軍曹:「Dammit(クソツ) 俺たちだけが生き残っただと、いったい何が起きた!?」
パイロット:「わからない! 突然ミサイルが爆発したんだ」
無線:『こちら統合参謀本部(JOCS)!』
混乱した彼らが怒号を交わす中、それに分け入るように無線が割れた叫び声をあげる。
無線(統合幕僚本部(JOCS)):『君たちの下に敵の対空攻撃部隊(AAチーム)が展開している! 地上部隊は対戦車兵に釘付けで援護できない状況だ、いますぐ座標27XF3539に退去せよ!』
兵士:「下!? 下ってこの真下か!?」
パイロット:「バカな、事前説明(ブリーフィング)で聞いた前線はここから15キロも先の地点だぞ!!」
兵士:「戦争中毒者(ウォーホリッカー)に前線を押し戻されたんだ、やられるぞ――――!!」
その混乱の最中、床にしたたか頭を打った黒瀬は呻きながら身体を起こす。軍曹はその肩をひっつかみ、強引に起ち上がらせる。
軍曹:「寝てないで自分の仕事をしろッ 新入り(プライベート)!」
その時、無線越しの割れた声がして、パイロットが再び毒づきながら叫ぶ。
パイロット:「あそこだ! 日防軍(JDF)の戦車隊が敵の対戦車ミサイル(ドラゴンファイア)隊に囲まれて虫の息になってる」
機体の先に一帯が炎に染まった地獄の三角州のような地帯が現れた。身を乗り出して見ると、どす黒い煙とオレンジに染まったいくつかの戦車が見えた。その両脇は艦載ミサイル攻撃を受けて崩壊したと思しきへしゃげたビル群に囲まれていて、そこからいくつもの白い煙がぱしゅっという音と共に上がる。すると煙は軌跡を描いて空高くに登り、そこから急降下して凄まじい速さで戦車の群れに突っ込んでいく。機銃で四方八方に弾をまき散らしていた戦車は、頭上から来襲した煙――――ひいてはその先にある対戦車ミサイル(ドラゴンファイア)に厚い装甲を貫かれて、内部からふくらむように爆発した。他の戦車はそれを見てさらに半狂乱になったように機関銃を発砲する。
兵士:「奴らこっちに気づいたぞ!」
眼下の廃墟ビルの屋上で、蠢く人影が見えた。五、六人の敵兵士達が対空ミサイルを抱えて走り、先頭に立った指揮官らしき男が、こちらを指さして撃墜を命じている。
軍曹:「連中をやれ!! 皆殺しにしろ(kill them all)!!」
軍曹が黒瀬の背中を叩いた。黒瀬は内心やけくそで、グリップを抱えてずっしりと重い銃身を乱暴に操作する。オーバークロックは既に使ってしまった。もう頼れるのは自分の判断力だけだ。やるしかないのか――銃口を戦車を囲むビル群で蠢く人影に向ける。敵は既に発射態勢を整え、こちらに発射口を向けている。辺りは戦火以外に光のない、暗闇に包まれていたが、その人影ははっきりと見えた。一瞬人間を撃つ事にためらいが生まれ、だが
軍曹:「やれえええええええ――――ッ!!」
耳元の怒声
思わずグリップのスイッチを押した。
巨大な虫の羽音のような炸裂音が、銃身から吹き出した。はじき出された弾丸は色濃い褐色の光線を残して地上に降り注ぐ。まるで鉄の雨だ。いや、鉄と言うよりはレーザーをはき出しているに近い。ビルの壁を粉砕して土煙が舞い上がり、弾丸は敵の部隊に次々と襲いかかる。直撃を受けた兵士達が爆散する。曳光弾の炎が辺り一帯を火の海に変えた。もがき苦しむ兵士達の姿が見える。「これはゲームなんだ」と自分に言い聞かせながら、手中で暴れ回るミニガンを全身で抱え込むように押さえつける。グリップを握りしめた手は自分のものではないかのように力がこもって、離れない。
対空ミサイルを抱えた敵の部隊は一瞬のうちに真っ赤な炎に飲み込まれ、巨大な弾丸で塵となった。それでも敵のミサイルは発射される。真っ白な閃光がこちらに噴射音を叫びながら迫ってくる。
パイロット:「来るぞッ つかまれ!!」
ミサイルはわずかにヘリの上部をかすめた。
だが、当たる事はなかった。ミニガンの弾丸は敵の照準を逸らす事に成功したのだ。
軍曹:「――――良くやった新入り(プライベート)!」
軍曹が眼下の廃ビルを見下ろしながら、豪快な歓声をあげて言った。ばんばんと黒瀬の肩を叩く。彼の胸元の無線機が、努めて冷静に言った。
無線(統合幕僚本部)『一帯のミサイル部隊の撃破を確認した。良く殺した(good kill)、良く殺した(good kill)――』
気がつくと、辺り一帯は全て火の海に変わっていた。夢中になって攻撃している内に、敵がいた周辺全てを焼き払っていたようだった。震える息を吐きながら、眼下に目を向ける。四散してあたりに飛び散った体の破片や、炎に包まれて微かに動くばかりになった死体が目に入る。ぞっとした。あそこに倒れているのが自分でなくてよかったと心の底から思う。そして、自分のした事の残酷さに、吐き気がした。
無線(統合幕僚本部):『敵司令部へ向け展開中の全部隊へ告ぐ。作戦決行(アイリーン)。繰り返す。作戦決行(アイリーン)』
ミサイルを抱えた敵の群れを一掃すると、戦車がうなり声を上げて前進し始めた。ヘリは追従し、黒瀬は軍曹が指示する目標に向けて必死にミニガンを撃ちまくった。いや、撃つ、というよりは濁流を流し込む、と言う方が感覚としては正しい。真っ赤に燃える弾丸の濁流を敵に空から注ぎ込むのだ。一帯は土煙と炎に包まれ、誰も生き残らない。全ては炎に飲まれるか、霧散して消える。
軍曹:「見えたぞ、司令部だ!」
軍曹が叫び、進行方向を指さす。あっと黒瀬は声を上げた。高層ビル群の中で一際高いそのビルは、黒瀬が見慣れたあの指定第九地区一番の大企業、V-tec Life社のビルと酷似していた。そういえば、ブリーフィング画面で舞台が第九地区であるような事を言っていた気がする。あのビルは戦時中もあったビルだったのか? 眼前のそれは要塞化され、ヤマアラシのように対空砲(AAG)と対空ミサイル施設(SAM サイト)、それに重機関銃(HMG)で武装されていた。巨大な生き物のように火を噴いて日米共同軍へ攻撃を仕掛けている。あんなのに突入するって言うのか……
ヘリの足下で、整列した戦車隊が一斉に主砲を発射した。
連なった主砲の音はヘリが傾く程の衝撃波を飛ばし、黒瀬の耳はキーンという高音に包まれてしまう。くらくらする頭を振り、音を取り戻す。ビルの方から破砕音と炸裂音、爆音が響き渡り、それを見た兵士達が歓声を上げた。黒瀬も思わず叫んだ。敵の牙城に一斉に着弾した105ミリの巨大な砲弾は一気に炸裂し、ビルを火の海に変えたのだ。対空砲やSAMサイトが吹き飛ぶのが見えた。
軍曹:「突入するぞ!!」
パイロットが操縦桿を傾け、軍曹が怒鳴った。足下が傾いで、黒瀬は手近な縁に捕まってなんとか耐える。ヘリは急速にビルに接近し、巨大なビルが拡大されて全容がわからぬ程さらに巨大に見えてくる。迫ってくるビルの姿に、黒瀬は思わず息をのんだ。
軍曹:「地対空ミサイル(スティンガー)――――!!!」
その時、軍曹の怒声と共に、ビルの窓から真っ白な光が飛び出してくるのが見えた。とっさに黒瀬は光の方へとミニガンを向けて弾丸を注ぎ込むが、光は止まらず、のたくりながら凄まじい速さで迫ってくる。パイロットが体ごと操縦桿を倒し、機体をバランスを崩すすれすれまで傾ける。
ジェット噴射の音が耳元をかすめていった。
軍曹:「窓の中だ! 全員応射しろ!!」
軍曹が黒瀬の肩を叩いた。他の兵士達も扉口に集まり、ライフルを連射する。凄まじい高所の風と浮遊感の中、ビルの窓向こうに次々現れる、対空ミサイルを抱えた人影に向けて弾丸をたたき込む。軍曹はパイロットに急いで屋上に兵士達を降ろすように伝え、ヘリは急速に高度を上げていく。その間にも、敵がビルの窓から発射した地対空ミサイルが次々と味方のヘリ部隊を打ち落としていく。まさに血を流しながらの突入だ。耳がおかしくなるくらい、手の感触が無くなるくらい、黒瀬は必死にミニガンを乱射し続ける。
視界の端で爆音と火の手が上がった。
パイロット:「うわっ!?」
コクピットで悲鳴のような声が上がり、はっとして眼を向けると、ちょうどフロントガラスに撃墜された友軍ヘリのプロペラが迫ってくる所だった。
衝撃
コクピットに横薙ぎで突っ込んで来たプロペラはパイロット二人の頭をたたきつぶし、体を真っ二つに切り裂いた。ヘリは揚力を失い、ただの鉄のかたまりになってきりもみして地面に吸い込まれる。突然襲ってきた重力と遠心力に逆らえず、黒瀬は足下をすくわれてヘリの外へ放り出された。なすすべもなく、ただ必死に機体に手を伸ばした。
軍曹:「Gotcha!(おつと逃がさねぇぞ) 」
その手を軍曹が握る。宙ぶらりんとなった体は急速に下降していくヘリの下で激しく揺れる。肩が外れて、激痛が走る。地上で燃えさかるヘリと戦車の残骸から立ち上る熱風が、黒瀬の髪を揺らした。
軍曹:「司令部に突っ込むぞぉぉぉお――――!!!!」
傾いたヘリはうねりに吸い寄せられるようにビルにつっこでいく。ビルの巨体が迫る。風を切る音が耳元でうなり声を上げている。黒瀬を飲み込もうとする悪魔のように迫る壁面。窓から見える乳白色の照明の光が、愕然とこちらを見上げる敵の兵士の姿を映し出す。その驚愕の表情の、シワの一つ一つまではっきり見えるまで、その姿が、あっという間に大きくなり、直撃の瞬間、黒瀬は目をつむり、その直後、体をばらばらにするような衝撃に飲み込まれ―――
■
どれくらい時間が経っただろうか。
暗闇の中、体の感覚がまだ残っていた。痛む全身をなんとか動かして身をおこす。体にのっていた破片がぱらぱらと落ちた。頭ががんがんと痛み、手を当てると、べったりとグローブに血がついた。辺りを見渡すと、ばらばらになった敵味方の死体があちこちに散乱していて、振り返ると、半分つぶれたヘリが窓から突っ込んだまま止まっていた。
搭乗口で下半身を潰されて死んでいた軍曹に歩み寄ると、その手に握られていたアサルトライフルを手に取った。それを見つめながら、思う。自分がまだここにいるという事は、アウターホリッカーは今だ顕在だという事だ。
司令官を殺さなくては。
ライフルのボルトを引き、初弾を薬室(チヤンバー)に送り込む。銃の扱いなど知らないはずだが、なぜだか体によく馴染んだ所作だった。
辺りを見渡す。ヘリのプロペラで破壊された壁の向こうに、明かりが見えた。照明システムが損傷したのだろう、明かりはまばたきするように点滅していた。吸い込まれるように、歩みを進める。
そこは激しく損傷していたが、紛れもない司令室だった。作戦マップを表示するホログラフテーブルや、資料を並べたボード、円卓やそれをずらりと囲む椅子が並んでいる。壁面に、巨大な国旗が掲げられている。血に濡れて霞む視界で目を凝らすと、それは巨大な鴉の絵だった。翼を広げて襲いかかろうとする鴉のシルエットが、司令室を睥睨するように描かれている。
「遅かったな、排出者(イジェクター)」
円卓の奥、上座の位置に、回転椅子が背を向けていた。微かにそこに座る人影が見えて、黒瀬はとっさにライフルを向ける。老いてかすれた声色だった。全く動揺する事もなく、手を組んで座ったままだ。司令官だろう。直感で確信する。間違いない、アウターホリッカーだ。
「お前を排出(イジェクト)する」
「いいや今回は逆だ」
引き金を引こうとした黒瀬の手が止まった。
何? こいつなんと言った――――?
「つまりこういう事だよイジェクター」
回転椅子がぐらりとこちらに向いた。腰を深く預けていた老将は、この惨状にもかかわらずきっちりと着こなした制服の襟を正す。齢90は超えているだろうその小さな体からは、しかし今だ消え失せない威厳があふれ出ていた。若かりし頃からそうだったのだろう、落ちくぼんでぎらついた目が、黒瀬を射貫く。
「私は自らの意思でアウターホリッカーとなった、君を誘い込むためのエサだよ」
眉をひそめた。誘い込むためのエサ――――? 自らの意思で、アウターホリッカーになった――? わけもわからず、ただ目の前の枯れ木のような老人に恐怖感を抱く。それを押しつぶしてしまおうと、引き金にかけた指に力を入れたその瞬間、老人は声高に叫んだ。
「無駄なんだよ!! 君は今や誘い込まれた豚だ、やれ」
胸に衝撃
槍に心臓を貫かれたと思った。急速に力を失っていく体を感じながら視線を落とすと、ちょうど胸の中央から放射状に広がる血の跡が見えた。地面にぼたぼたと、血のかたまりが脈打って落ちる。手を当てると、グローブ越しに親指大の銃創があるのが分かった。穴が開いている。心臓に。熱い血が手のひらを染めると同時に、体から熱が失われていく。脚から力が抜け、意識せぬまま膝をついた。
「よぉ、イジェクター」
床に倒れ臥(ふ)した黒瀬の視界に、背後から歩みでてくるブーツに包まれた脚が見えた。大口径の拳銃が、ぶらりと下げられる。
「警告したはずだぞ、三度もな」
男が振り返る。黒瀬は震える喉を驚愕に鳴らした。
男の顔は、髑髏に覆われていたのだ。コーディがかつてそうしていたのと、同じように。そしてその姿は黒瀬と――イジェクターと同じジャケットに同じカーゴパンツ、同じ編上げブーツに同じフード――うり二つの格好をしていた。違いがあるとすれば、黒瀬のそれが汚れてぼろぼろになっているのと対称的に、男のそれはまるで新品のように身綺麗だった。
「二代そろって計画の邪魔をするとはな」
男は黒瀬にゆっくりと歩み寄る。しゃがみ込み、その髑髏で黒瀬の顔をのぞき込んだ。
「出来れば無関心でいて欲しかったが、お前はなんでか邪魔をする。もっとも、おかげで良質なハードが見つかったわけだが……いったい誰のためにやってると思ってるんだ?」
「……! …………!!」
黒瀬は大口を開けて、声にならない叫びを上げようとする。何を言おうとしているのかは自分でもわからない。だが、この男が決して存在を許してはならない、凶悪な男なのだという確信があった。
男は嘲笑する。
「わめくな。こうなったのはお前の責任だ。最初は売れないライターに、次はあのバカ女に、しまいには菅野博士にまでメッセージを届けさせたのに。『お前を監視している』『俺に逆らうな』ってな――――署名までつけた」
こいつ、何言ってやがる。黒瀬は消え失せそうになる意識を歯を食いしばってつなぎ止める。この男は俺の事を知っている? なぜだ、なぜ俺を撃った? 計画とはなんだ?
男は手のひらを広げた。「何が何だかわからないって顔だな」そう言って立ち上がった男は、ゆっくりと歩み、姿をさらすように黒瀬の前に立つ。そして顔を覆うその死骸の能面に手をかけた。
「俺だよ、イジェクター」
髑髏が引きはがされる。
黒瀬の目が見開かれた。
あまりに見慣れた顔だった。朝起きて洗面台に立った時、道を歩いてふと車のウィンドウを見た時、バスの窓を見上げた時、コーディの瞳に映った時。その無愛想でいつも不満げな顔が、今、目の前で不敵な笑みを浮かべている。この顔、この顔! 知っている! そう知っている! だがどうして どうして――――!?
「初めまして兄弟、偉大な兄(Big brother)がご挨拶だ」
自分と寸分違わぬ同じ顔が、嘲笑を浮かべていた。
「計画の最終段階はこれで達成したんだな。私の任務はこれまでか」
椅子に腰掛けた司令官が、自分と全く同じ顔をした男に話しかける。男は軽々しい仕草で敬礼する。
「これでこいつは現実世界にロックされる。アウターワールドには二度と戻れない」
「Dr.が回収に失敗したOSは? 最高権限を有しているあれを処理しない限りロックは完成しないはずだ」
「もちろんだ大佐。抜かりはない」
男がペットでも呼びつけるみたいに人差し指をくいっと動かした。すると唐突に虚空の空間が歪み、そこから現れたのは――――
「アウターワールドはこれで永遠だ。よくやったコーディ」
初めて会った時と同じように、長く垂れ下がるような軍用コートに身を包み、髑髏をかぶったコーディの姿。黒瀬の動かない体が驚きで震える。コーディ、何してるんだ……!? 叫びたかったが、肺から押し出した空気はしぼむ風船のように声にならずにかすれて消えた。
男は彼女を誘うように手を差し出す。
「…………どうした」
コーディは黙ったまま、倒れ臥して、必死に口を開閉させる黒瀬を見つめている。
「わかってるだろう。こいつを救えるのは俺と、お前だけだ」
コーディ!!!!
声にならない叫びを真っ黒な瞳で見つめた彼女は、まるで何も見ていなかったかのようにふっと視線をそらし、男の手を取った。
「そうだ。それでいい」
「……私の体にも限界が訪れたようだ」
司令官がそう言うと、その体が白と黒の砂嵐に染まり始めた。スパークしたような鈍い音がその体から漏れ出し、砂嵐は次第に彼の体を飲み込んでいく。
「貴君の任務達成を祈る。必ずや我らの現実を弄んだ悪鬼共を駆逐するんだ」
砂嵐がのど元まで来た時、司令官は威厳に満ちた敬礼を男に向けた。男は変わらず、軽々しい返礼をする。彼が黒瀬に振り返った時、砂嵐に完全に飲み込まれた司令官の体がぐずぐずに溶け、ぐらついた首がごろりと、床に転がり落ちた。
「さぁ、終わりの時間(ゲームオーバー)だ」
男は太ももに下げた拳銃を掴むと、スライドを引いて初弾を装填した。コーディは、彼の後ろで、それを黙して見つめている。どうしてだよ。胸の内で、声にならない慟哭を上げる。どうして! どうして!! どうして!!!! 答えを求めて彼女に焼けるような視線を向けたが、彼女は髑髏越しの目で冷然と見下ろすだけだった。
手を伸ばす。何を掴もうと思ったわけではない。ただ、胸をかき乱す疑念と怒りの荒れ狂った情念が、ほとんど力の入らない体を動かして、腕を伸ばした。
「お?」
拳銃を操作していた男がふと視線を落とす。その脚を掴む黒瀬の手を見つめて、鼻を鳴らした。
「おいおい」
撃鉄を上げて、銃口を向ける。燃えるような慟哭を滲ませる、黒瀬の目に向けて。
「嫉妬は見苦しいぞ」
「……ま……ぇ…………お、ま……え…………!!」
かすれた声を、血を吐くかのように口にしたその言葉に、男は口元をもたげた。「俺の名か」尋ねた彼の顔に浮かぶのは、圧倒的に優位に立った者だけが見せる、酷薄な笑み。銃口を黒瀬の頭に押しつける。ふきだしそうな程愉悦のこもった声。
「World maker(創造主)――――空虚な現実世界(リアルワールド)で、無力さに打ち震えて死ね。俺の名を噛みしめながら、な」
炸裂音と閃光。
巨大な固まりが頭蓋を砕いて押し入ってきた。吹き飛ぶ血と脳漿、頭蓋の破片を、のけぞった頭が天井越しに見つめていた。暗転した世界の闇の中で、高らかな哄笑を上げる自分そっくりな声を、聞いた気がした。
「ごめんなさい――――さようなら」
短く告げる、彼女の声も。
Game Over........
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