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act6[a?キa―a??a ’ ] -𩝐ィ・儺ソ爾-

 


公共交通機関は全部麻痺していた。当たり前だ。道は事故を起こした車でいっぱい、歩道だって意識を失った人と車から引きずり出された負傷者で埋め尽くされてる。動く人より、動かない人の方が多い。動いていても、能動的に動いている人なんてほとんどいない。ただ泣きわめくか、呆然とするか、軍や政府は何をしているのかと叫ぶ人がいるばかりだ。必然的に、V-tecLife社へ向かうのは徒歩で移動するしかなかった。必死に駆けた。歩いてもよかったはずだが、進む道の先で、彼女が待っているかと思うと、自然と足は止まらなかった。
「おい下がれ! 下がって、中には入れない!! ――――なに? お前、今なんて言った!? ……おい、中尉を呼べ、『111』発生!」
 二、三時間はかかっただろうか。何せ時間を表示する物がほとんど動いていないのだから計りかねる。とにかく気が遠くなるくらい走ってようやくV-tecLife社にたどり着くと、そこは緑色の迷彩服でいっぱいになっていた。装甲車やライフルで武装した兵士達によって、巨大な高層ビルは包囲され、封鎖されている。日防軍だ。黒瀬が人混みをかき分けて駆けずりより、『111(トリプル・ワン)』と伝えると、兵士達は色めき立って、一人の兵士を呼んできた。
 初老に近い男だ。髭を蓄えたその中尉は、黒瀬を値踏みするように上から下までねめつけると、吐き捨てるように言った。
「こんな五体不満足のガキが、『111(トリプル・ワン)』――――?」
 彼は顎で後ろに控えていた兵士達に顎で黒瀬を指し示した。途端、黒瀬の両脇を太い腕が掴み上げる。どこかへ引きずっていこうとする兵士達に、黒瀬は慌てて抵抗した。
「何すんだよ、離せ!」
「例の病院へ連れて行け、別の適任者にマスターキーを移させる」
 黒瀬の目が見開かれる。
 脳の片隅から、鋭い危険信号が光り、かっと熱くなった体に信じられない程の力を送り込んだ。黒瀬は屈強な兵士達の腕を全力で振り払うと、とっさに腰の裏に手を伸ばす。
 炸裂音
 腕をつかんでいた兵士の膝から血が噴き出す。鋭い悲鳴が上がり、辺りの兵士達が素早くアサルトライフルを黒瀬に向ける。黒瀬はその一つ一つに銃を向けた。自分につかみかかろうとする男の前で、空に向かって一発弾を炸裂させる。
「俺を中に入れろッ!」
 動揺し、ライフルを構えながら動けなくなった兵士達が、髭面の中尉に視線を集める。向けられた黒瀬の銃口に目を凝らす中尉は、凄まじい怒声を浴びせかけた。
「いますぐ銃を降ろせッ! 殺されたいのか!?」
 黙れ!! 全身が燃えるようになった黒瀬は一歩もひるまなかった。
「中に入ってどうするつもりだ!? 世界は今にも崩壊しようとしてるんだぞ、下らん手間を掛けさせるな」
 緊張に震える銃口、際限なく上がり続ける心拍数、感覚は痺れ上がり、冷や汗の冷たさすらわからない。向けられた無数の銃口に、それでも、屈するわけにはいかなかった。 
「俺はそれを止めに来たんだ」
 馬鹿が、中尉は吐き捨てた。ガキに何が出来る。
「あんたは"奴"を知らないだろ」
 奴? 眉根を寄せた中尉の前で、黒瀬は銃把を強く握りしめる。
「俺は奴を知ってる。ずっと一緒に暮らしてきたんだ」
 わけがわからないと細めた目で首を振る中尉は、何を言ってると口腔の中でつぶやいた。黒瀬はじっと彼の目を見据え、言った。
「"奴"は俺が殺す。殺さなきゃいけないんだ、俺が」 
 周囲の兵士達は完全に正気を失った者を見る目を黒瀬に注ぎ、命令を急かすように中尉に視線をやる。彼はますます鋭く目を細めると、頭を指し、噛みしめるように言った。
「キーを、寄越せ。そいつに二十六億人の命と、それに付随する世界の全てがかかってるんだ。わけのわからんわがままに付き合う時間はない」
「俺の脳を裂く時間は短縮できるだろ。ここで突っ立って世界が崩壊するのを眺めるか、俺をビルの中に入れるか、二つに一つだ」
「話にならんな」
 中尉が顎を振ってみせた。黒瀬の周囲を取り囲んでいた兵士の間から数人が歩みでてくる。屈強な彼らは太い腕をさっと伸ばそうとし、その瞬間、黒瀬は拳銃を自分のこめかみに押しつけた。兵士達はぎょっとして立ち止まる。とっさに身を乗り出そうとした中尉に、拳銃を見せつけ
「Play fun!12(キー)を失うぞ」
 黒瀬の周りを、緊張と焦りの視線が駆け巡った。交錯する視線、音もなく固唾を飲む兵士達、野次馬、そして中尉。
「……やれるはずがない。お前も世界を失う事になる」
 黒瀬は撃鉄を上げて、それに応えた。いつも剣呑に細められ、世界を斜めに見つめていた目は、見開かれ、何者にも怯えることなく、中尉の背後にそびえ立つ、V-tecLife社の巨塔を見据えている。中尉はその目を、緊張で荒くなる息の最中に見つめ、重苦しい声で言った。
「――――生きては帰れんぞ」
 それでも、黒瀬は銃を降ろさなかった。
 一瞬たりとも銃口を揺らさない黒瀬に、中尉は舌打ちをした。それから腕を振るって、辺りの兵士達へ「銃を降ろせ」と命じる。取り残されたように、じっと拳銃を構えたままの黒瀬に、彼は短いため息をつくと、顎でついてくるように示してみせた。



 ビルの中に突入した黒瀬と中尉達を待っていたのは、激しい銃撃戦の嵐だった。
 ビルの上階から、何者かの怒声と凄まじい発砲音が響き渡ると、ロビーに飛び込んだ黒瀬達に黄金色の閃光が襲いかかり、大理石の床が砕ける破砕音が周囲に飛び散る。その最中、黒瀬を引きずるように欠けていた中尉は、エレベーターの中へ黒瀬の体をたたき込むと、B7ボタンを五回押せと叫び、パネコンを叩いて扉を閉めた。緩慢な動作で、扉が完全に外の光を閉ざそうとした瞬間、中尉の体から鮮血が噴きだして、崩れ落ちるのが見えた。
 そうして銃弾の雨をかいくぐり、たどり着いたエレベーターで地下に降りると、そこは下りの螺旋階段だった。
 階表示は全てのホログラムが点滅している。おそらく、ここは通常エレベーターが決して止まるはずのない階なのだろう。
 エレベーターを降り、螺旋階段を下っていると、初めて屋敷の地下のドームへ向かったときのことを思い出した。あの頃はこんな事になるなんて思いもしなかった。拳銃を持って、銃弾をかいくぐり、父の会社の地下に潜り込むなんて。

「これは…………」

 階段がたどり着いたのは、あの屋敷にあったドームの数十倍は規模の大きい、しかしよく似た作りの巨大なホールだった。
 墓標のように突き立った無数の機械群が、中央に正対して祈るように円を描いている。巨大な石版(モノリス)で作ったドミノみたいだった。緩く、延々と続く曲線。対岸の弧は暗闇に飲み込まれて見えない。神の胃袋に飲み込まれたか、地球の中心にたどり着いたか。歩みを進める。機械群が、脈動するように、エメラルドの光を点滅させている。ホール全体が輝くと、まるで合唱でもしているかのようだった。何をたたえる歌を歌っているのだろう。きっと、ろくな物じゃない。疲れ切った頭が、意味のない思考を漏らす。
「来たか」
 声がした。はっと足を止める。ホールの中央には、のたくった無数のチューブやケーブルに盛りつけられた祭壇のように、棺状の真っ白な箱が横たわっていた。それを見下げる男が一人。酷薄そうなつり上がった目、オールバックの髪に、いつも変わらない喪服同然のスーツを着込んだその男。
「父さん」
 予期はしていた。V-tecLife社の名が上げられた時、彼が事態に関わっているのではないかという事は、容易に想像できた。覚悟もしていたつもりだった。背中に隠していた拳銃に、ゆっくりと手を掛ける。
「彼女に会いに来たんじゃないのか。私を殺してどうする」
 父は鋭い目を剣呑に黒瀬に向けた。一瞬、視線を棺に落とす。 
 棺に横たわる物に気づいて、はっとした。慌てて駆けだし、棺に駆け寄る。棺は、まるで動物の死骸でも保存するかのような、どろどろとしたエメラルドグリーンの色の液体が漏れだしていた。べちゃべちゃと、靴の裏を液体が濡らす。滑りそうになりながら、黒瀬は棺に飛びついた。石棺のように重い蓋を、押し開ける。
 新雪のように白い肌をした漆黒の髪の少女が横たわっている。色濃いまつげに縁取られて閉じた瞳、薄い唇は青白く霞み、弛緩しきった表情は穏やかですらある。沈みかけたその顔は、諦観とも死者の表情とも違う、ほんの少しでも触れたら崩れ落ちてしまいそうな、張り詰めた均衡の狭間にある。夢の中で現れる、この世の物ではない、理想の誰かのような――――そういうあやふやで、不確かで、でも確かに見知った事のある姿。
「コーディ!!」
 体を揺らした。掴んだ彼女の体からは、まるで生きた温もりを感じなかった。生命の脈動を感じない。死人だ。息だけしている、でも、死人じゃないか、こんなの。その頬に手をやり、震える手で撫でる。記憶の中の彼女より、ずっと痩せこけて、衰えていた。
「どうする」
 背後で、父が煙草に火を点しながら言った。
「キスでもするか」
 振り返った黒瀬は今にものど元に食いつきかからんばかりだったが、ぐっと奥歯を噛みしめてそれを黙殺した。この男が、このゲス野郎が、このシステム――――彼女を薬液漬けにして、その脳を生きた機器(サーバー) としていたこの残酷でエゴむき出しのシステムを、知らなかったはずはない。世界最高の企業の、最高の責任者だったのだ。それが人類最低のクズ野郎と同義だと知った今、父親である事などもはや問題ではない――――今すぐにでもくびり殺してやりたいが、今は構っている余裕はない。彼女をここから救い出さなくては。
「無駄だ。その棺から出したら彼女は死ぬ。彼女の体は生命としての活動を放棄している。それを維持しているのはこのシステムそのものだ」
 黒瀬が彼女を抱き起こそうとすると、父が先んじてそう言った。彼女の体を持ち上げると、無数のスパゲティーチューブが体のあちこちから引きずった。ずくずくと、チューブは激しく脈打っている。彼女を無理矢理生かそうとしているのか、それとも、彼女の命を吸い尽くそうとしているのか。
「……自分に吐き気がしないのかよ。人の命を、こんな風にして――――こんな風に人を縛り付けて、それで金儲けして、それがまともだって言えんのかよ! 狂ってる、こんなの!!」
 父は表情も変えず、ただ一つだけため息のような息を漏らした。
「彼女は放っておけば死ぬ。脳の機能を機械のそれとほとんど置き換えてしまっているんだ。それを莫大な費用を払って維持しているのは我々の企業だ。彼女の脳が生み出す利益を享受しているのは確かだが、その利益で彼女が生き長らえているのもまた事実。効率的で、人道的なやり方だ。それともお前に彼女が救えるのか? 毎年かかる莫大な費用を、お前が肩代わりして払うか?」
 言葉に詰まった黒瀬に、父は淡々と告げる。
「お前にはわからないだろう。あの屋敷でじっと身を潜めてるばかりのお前には。現実の厳しさも、善悪度し難い決断も、理解できない。お前はただ安全な所から、無策に無責任な正義感を振り回しているだけでいいんだから気楽な物だ。下らん離反部隊と組んで、レジスタンスごっこか。連中はすぐに政府によって制圧されて、お前はお払い箱になる。そんな考えも及びつかない。だからお前は子供なんだ。いい加減、それを認めろ。背伸びして、大人の目線に合わせた振りをするのは、やめろ」
 ぐっと黒瀬は歯を食いしばった。どうしようもなく抗いようのない正論だった。だがそれを認めるわけにはいかない衝動が、胸の内で渦巻く。どす黒い怒りの塊が、喉の奥からせり上がる。火を吐くように言う。
「お前は、間違ってる」
 父は酷薄な表情で黒瀬を睥睨し、言った。
「そうか……なら彼女をそこから引きずり出せばいい。できるならな」
 父が顎で、黒瀬の手元を指し示す。ぬるりとした感触が、コーディを抱えた腕にまとわりつくのを感じた。はっとする。エメラルドだった液体が石油のようにどす黒い、滑った液体に変わり、まるで生き物のように蠢いている。重い。誰かが腕にぶら下がっているようだった。反射的に込めた抗う力もあっという間に飲み込まれ、棺の中に彼女ごと引きずり倒される。
「――――なんだよこれッ!?」
 思わず叫んだ。さっきまであったはずの棺の底は、今やかき消えてしまっているようだった。底がない。黒い液体は彼女を丸呑みしようとのたうち、必死に彼女の体を支えようとする黒瀬の体をも飲み込み始めた。棺に脚をかけ、てこの力で全力で引き上げにかかる黒瀬だが、地面を持ち上げようとしているかのようにびくともしない。
「最初はただ妨害するにとどめようと思ったんだよ」
 頭上で声がした。顔を上げると、父が口元に手をやっていた。手の端から見えるのは、耳まで裂けそうな隠しきれない笑み。
「あの新聞記者も、あの女もそうだ。どうせお前は自分の能力の有用性にも気づけやしない。大した障害じゃないと思ってた。だからお前を足止めできそうなものだったら何でも良かった。お前の正体を探る人間がいたら怖じ気づくだろうと思ったし、女にうつつを抜かせばアウターワールドへの興味なんてなくなろうだろうとも思った……お年頃だしな」
 父の声色だった。だが、父はこんなにも感情豊かには語らない。こんなにも豊かな、あざけりの感情を――――
 口を開いても、まともな声は出なかった。かすれきった声が漏れる。
「何、言って――――」
「だが気づいたんだよ。お前の有用性に――――お前は実に良い脳をしていたよ、次のサーバーにするにふさわしい、な」
 黒瀬の目が見開かれる。全身を危険信号が駆け抜けて、痺れ上がった。
「父さん、いや、お前、まさか――――」
 途端、凄まじい哄笑が舞い上がった。
 最初はそれがどこから上がった声なのかわからなかった。いや、それは目の前で起きている事態なのだから、疑いようもなく、その天高く放たれる哄笑が、父から発せられたのだという事実は、目にしたはずなのだ。だが、あまりに唐突で、信じられない光景だった。微かに口角をもたげ、そして次第にその笑みはホールの隅々にまで及ぶような哄笑へとせり上がっていく。睥睨し、あざ笑い、滑稽さに哀れみすら抱く、そういう笑い声が、酷薄だったはずの父の獰猛な嘲笑からはき出される。裂けんばかりに開けられた大口が、天を仰いで歪んだ愉悦を心底楽しそうにはき出す。
 そしてその顔がゆっくりと黒瀬の方へ向いた時、彼の目は見開かれ、瞳がぎゅっと収縮した。父の表情は、かつての酷薄な、冷淡で抑揚のないものではなかった。凄みのある、無数の人の命を手中に収めた死神のような、悪鬼じみた笑みが浮かぶ――――
「俺だよイジェクター」
 豹変した父には、かつての面影はなく、代わりに、別の誰かの面影があった。それはあまりに強烈で、邪悪で、忘れられない記憶。この胸を撃ち抜き、無力だとささやき、その名を噛みしめて死ねとまで言付けた、そう――――死神の面影。
「お前が来るのを待っていたよ、兄弟」
 その手にいつの間にか握られていた、乾いた頭蓋骨を、ゆっくりと顔に重ねると、吸い付くように壮絶な父の表情を覆った。
「ワールドメイカー――――!?」
 とっさに拳銃を構えようとした手は、引き留められたように動かなかった。
「くそッ――!?」
「イジェクター、俺からもお前に伝えたい事があるんだ」
 もはや父とはかけ離れた、愉悦のこもった嬲るような声。父は――――いや、黒瀬の眼前に立つこの男は、静かにすっと黒瀬の額に指を差し向ける。
「お前を殺さなきゃいけない(イジェクトする)。現実世界からな」
 ぐっと黒瀬は歯を食いしばり、愉悦に歪んだその口元を見上げた。どす黒い液体は体を飲み込むとついに黒瀬の口元にまで絡みつき、声も上げられなくなった。くぐもった怒声は、彼の歪んだ笑みをさらに際立たせた。その口元が、待ち侘びていた獲物に食らいつく獣のうなり声をあげる。
「インサート」
 その言葉が終らぬうちに、真っ黒な液体は黒瀬の体を飲み込み、視界が光を失った途端、全ての感覚が遮断(シヤツトダウン)した。



 そして産道から産み落とされるように、突如足下の感覚が失われ、硬い床にたたきつけられる。
「この日を待ち侘びていたぞ、イジェクター」
 漆黒の液体が体をずぶずぶと這い回り、床に滴る。激しくむせ、吐き気を飲み込み、黒瀬は顔を上げた。目前で見せつけるようにゆったりと歩むワールドメイカーは、落ちくぼんだ髑髏の眼窩の下から、楽しそうに細めた眼を注いでくる。
 混乱しきった感覚を落ち着かせるように、辺りを見渡した。そこは、先ほどと何も変わらない――――いや、どこかが決定的に違う、V-tecLife社の地下に広がっていた巨大なホールだった。段々状に高まっていく円状の観客席から、演算装置達が睥睨するように、中央でへたり込んでいるこちらを見下ろしている。死んだように沈黙し、光を失っている。
「ようこそ、現実でも空想でもない世界、アウターワールド(本当の世界)へ」
 演者のように、ワールドメイカーは大仰に腕を広げて言った。ホールに彼のかすれきった声がこだまする。鼻の奥に残っていた液体をはき出しながら、黒瀬は悟った。アウターワールドに引きずり込まれたのだ。あの、現実の世界から――――どうやってかはわからないが、そんな事はどうでもいい。誰がやったのかは、分かっているのだから。目の前に立つ、この、ワールドメイカー(全ての元凶)。
「姫はあちらに」
 彼はそう言うと、クロスが取り払われた芸術品でも見せつけるように、背後へと手を広げて見せた。そこはホールの中央で、創世の木を模したと思しき石柱が、天へと梢を伸ばしている。その前にある、石台の上で、コーディが指を組んで横たわっていた。目にした瞬間、体にかっと熱がこもった。根源的な力だ。自分の中にいつもあり、立ち上がる機会を待ちわびていた力。それが黒瀬の体を起こし、焼けるような視線をワールドメイカー(奴)に向ける。
「舞台は整った。招待に応じてくれてありがとう、イジェクター」
 ワールドメイカーは、並の人ならすくんでしまうような黒瀬の怒り狂った目に向けて、余裕綽々の不敵な笑みを浮かべる。黒瀬はふらつく体に力を込めて腰を上げ、言った。
「ずっと俺をだましてたのかよ、父さん……」
「だましていた? 心外だな、昔から言っていただろう。『私は新しい世界を創造しているんだ』ってな」
 幼い頃、父が子供のようにはしゃいでアウターワールドについて語っていたのを思い出し、黒瀬は歯噛みした。既に、あの頃から、もう――――
「復讐のためのプログラム――――保存(コピー)されたかつてのお前の爺さんは、どこに保存されていたと思う?」
 乾いて黄色く滲んだ頭蓋を叩く。
「昔も今も、脳の情報を保存しておけるような機器(デバイス)は一つしかない――――"脳"だよ。お前の親父の脳に、俺はインストールされたんだ。お前が大好きな爺さんは、てめぇの息子の『脳』に復讐の種をまいたのさ。そして、俺が生まれた」
 立ち上がった黒瀬は、アウターワールドへたたき込まれたショックでまだ震えている体を無理矢理に動かし、拳銃を構えた。父とワールドメイカーの関係は予想もつかない答えだったが、驚きはしなかった。確かに父のあの酷薄な瞳の焦点は、いつも現実には合っていなかった。幼い自分の人生をぶちこわしにし、妻をぞんざいに扱ったその理由も、理解にたやすい。この男にとって、現実の事象など、何の価値もなかったのだ。
「お前が間に合って良かったよ、今のサーバー(あいつ)はもう限界だったから」
 髑髏を鳴らして振り返り、凍り付いた琥珀みたいな彼女(コーディー)に目をやる。
「あいつはあまりに長い間、生きた機械になりすぎた。自壊プログラムだけじゃない。際限なく増え続けるプレイヤー、交わされる無数の情報(データ)情報(データ)情報(データ)……酷使された脳はもう急速に衰えて、すり切れちまってた。イレギュラーなアウターホリッカー(バグ)を何度も発生させやがって。酷いもんだ」
 振り返ったワールドメイカーは、黒瀬へむけて指をぴっと差しだした。その指先の延長戦には、黒瀬の頭があった。
「だがお前の脳は特別だ。幼い頃からPlay fun!12を導入し、成長と共にそれに適合してきたお前なら、決して摩耗する事の無い、永遠の生きた機器(サーバー)になれる。これから未来永劫、アウターワールドはお前の脳(サーバー)の中に存在し続けるんだ。俺たちは永遠になる」
「……こんなのがお前の現実だってのかよ」
 黒瀬の声は低かった。本当のところ、こんな質問などまるで意味のない問いだった。どんな答えであったにせよ、やる事は決まっていた。ワールドメイカーは口角をぐっと上げると、両手を広げて
「いいや、ここは現実なんかじゃない。ただ俺は――わかったんだよ。お前の父親と、俺(コピー)は、同じ脳に共存する内に思想が混ざり合い、融合し、そして合理的な一つの結論を導き出した」
 わかるだろ、お前にも。
 白い骸の剥き出しの歯が、ささやく。
「あんな世界は、現実じゃない。苦痛にまみれ、孤独にさいなみ、かなえられようはずもない希望にすがってようやく生きる世界。あんなのは、現実なんかじゃない。だから、外側世界(アウターワールド)で、現実世界(嘘の世界)を上書きする事にしたんだ」
 ゆっくりと、こちらに振り返る。
「……さぁ跪けイジェクター。お前の腕も、脚も動く最高の世界が、お前を待ってるんだ」
 黒瀬はただ黙っていた。腹の底で脈動する、制御不能な力を感じながら、自分の体に手を這わせた。大丈夫、イジェクターの装備だ。首の下に垂れていた、ガスマスクを手にする。
 顔面に強く、押しつけた。
 懐かしい息苦しさが、喉の奥に広がり、思い切り吸い込んだ清涼な空気が、胸の内を満たす。
 押しつけたガスマスクのベルトを、後頭部できつく固定した。透明のプレート越しに見る、奴の――――ワールドメイカーの姿を睨めつける。
「お前を排出(イジェクト)する」
 はっ。と、ワールドメイカーは笑いを吐き出す。
「お前にはできないさ」
 その骸がぐにゃりと空間ごとゆがみ、渦巻く。その底から這い出してくるように父の顔が現れ、酷薄な顔に凄惨な笑みを浮かべる。
「ずっとお前は恐れてきただろう? 『私』を――――父として愛してもいた。お前の胸に巣くう憎しみは、愛されない事への憎しみだ。母親がむせび泣く夜だって、お前はベッドの中で震えるばかりだった……そんなお前に、俺が殺せるか?」
 まさに沸き立つ憎しみで銃を構えていた黒瀬の銃口が、微かに震え始めた。はっとして気づくと、両手に力が入らなくなって、怯えるように震えている。そんなわけない。ぐっと力を込める。そんなわけはない。父を愛していたなんて、そんなわけ、ない。だが噛みしめた歯の奥から震える悲鳴が這い出てくるように、銃把を握る手は震え続けた。
 ふと、胸元で小さな金属音がした。
 そこには麻戸から受け取ったロケットがしまってある。その中で微笑む彼女を思うと、拳の震えは次第に収まってきた。祭壇で横たわる彼女に目を向ける。力など微かもこもっていない彼女の肢体はだらりと弛緩したままだ。助けるんだ。そう、強く思う。必ず、助ける。
「アウターワールドのサーバーであるコーディを排出すれば、この世界は跡形もなく消え失せる。俺にサーバーの機能が移る前にそうすれば。そうだろ」
 力強い言葉が口をついて出た。
 天田はかつて抱いた現実への怒りを捨て、全ての原因であるアウターワールドを憎んでいたのだ。あれだけ娘の排出にこだわったのは、彼女の命を救うためだけではないと思う。きっと、彼女を排出する事で、システム全体の破壊が可能だとも考えていたに違いない。それは本能的な直感だったし、天田とこのよく喋る骸の言葉から導き出された自然な答えのようにも思えた。
 ワールドメイカーは肯定も否定もしなかったが、口元の笑みを唐突に消して、すっとその目を鋭くした。
 だが、不敵にも再び笑いをはき出すと、次第に大口を開けて哄笑を上げ始めた。無言で見つめる黒瀬の前で、散々ぱら笑いしきると、ふいに小さく鋭いつぶやきを吐く。
「そんなに現実が恋しいか」
 ワールドメイカーが指を鳴らすと、ふいに黒瀬の左腕と、左足から感覚が消えた。力を失い、膝をつく。うっと息が詰まる。体から力が失せたように思った。動かない――左腕と、左足が、動かない。
「その木偶の坊な腕と、さび付いた義足が大好きか」
 ワールドメイカーは腰の裏から拳銃を取り出すと、スライドを引いて初弾を装填した。それを黒瀬の頭に向ける。
「だったらくれてやるよ、『現実』を」
 それから――――ふと、何か考えるような間を空け、それをくるりと回転させて銃身を逆に握った。そして、黒瀬の足下へ投げて寄越す。硬い黒金の塊が、滑らかな床をすべって黒瀬の前に届けられる。
「あぁ……ここで殺したらこの世界は消去(デリート)されるだけだ。それじゃぁ復讐は完璧とは言えないな。なぁ? そんなに現実が素晴らしいってなら…………そいつを俺に、教えてくれよ」
 黒瀬はマスクの下で、むき出しの歯を食いしばった。現実世界の鈍い感覚の腕を動かし、眼前で死体のように転がる銃に手を伸ばす。銃把を握りしめると、無機質な銃身に命が宿る。
「今からここは、現実と同じだ。ここはあのクソったれな現実そのものだ。引き金を引けば弾が飛び出す。弾が飛びさせば反動が手のひらを打ち、それが当たれば死んじまう。そしてお前の左腕は無用の長物であり、左足は義足ってわけだ」
 ワールドメイカーは自らもサブマシンガンを用意しながら、眼窩の下の目をぐるりと黒瀬に向けた。その顔に向けて、黒瀬は重い拳銃を持ち上げる。腹の底で暴れのたくっていた凶暴な力を、解放する。さぁ暴れろ、憎い奴が現れた――――今こそ、戦う時が来た。ぎ……っと握りしめた銃把から音が鳴る。
「思い出させてやろう、現実のお前がどんな人間だったか」
 覆っていた不敵な笑いがはがれて、押し隠した苛立ちが浮かび上がったワールドメイカーに、向ける。
「さぁ――――最初の一発はお前に譲ってやるよ。俺を撃ってみろ。俺を殺してみろ。あぁ、証明してみろよ」

 銃口がぴたりとその顔に重なる。
 醜く歪んだ、髑髏の額に。
 骸が吠える。

「さあ、撃て。俺に現実を、証明してみろオオオオオオーーーーー!!!!」

 黒瀬の手の内で炸裂した弾丸は、ホールの静謐な空気を切り裂いて、World Maker(創造主)へとはじき出された。その切っ先は現実離れした動きで回避した髑髏のこめかみをかすめ、棺の向こうで静かに佇む創世の木にめり込んで、破片がまき散らされる音が高らかに鳴り響いた。

 その夜にかわされた無数の弾丸の、最初の一発が木霊した瞬間だった。













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